心の澄み処
こんばんは。
いつも体調の悪いアラフォーです。
私は、B型作業者に、見学体験に行ってきた。
体調が悪くても、理解してくれるのが、ありがたい。
そのB型作業所は、デジタル関係のお仕事を扱っている作業所で、私は、デジタルで絵を描ける様になりたくて、そこに行きたいと思った。
因みに、障害者の雇用作業所は、A型とB型があり、ざっくり言うと、比較的健常者に近い人は、A型、障害の重い人はB型という感じだ。
CからZまである訳ではありません。Zまであるとしたら、どれだけ障害者多いねん。細分化し過ぎやろ。
私は、取り敢えず、体験をしに行ったのだが、そこで気づいたことがある。
それは、スタッフさんが、障害を理解して、否定しない、ということ。
ゆるゆるで溶けそうな犬を描いても、褒めてくれる。なんと素晴らしい世界ではないか。
私は、家の躾が厳しかったり、酷い虐めにあったり、姉からの家庭内暴力を受けたり、肯定された経験が少ない。
そもそも、自己肯定感なんて、とっくに死んでいるに等しい。
28歳から精神病になり、現在も闘病中だが、生きていて、良いことなんて、あまり無かった。
私は、自分に厳しいが、他者にも厳しい。
自分を否定され続け、自分や他者を肯定することが、難しくなっていた。
私が見学に行った作業所のスタッフさんは、否定をしなかった。居心地の良い空間だった。
その作業所は、お昼に賄いがあり、スタッフさんが配膳している横で、通所している障害者さんが、お手伝いをしようとしていたのが目に入った。
自分が障害を抱えているのに、人を手伝う気遣いが出来るって、凄い、と思った。
健常者でも、人を気遣えない人がウヨウヨいるこの薄汚い世の中で、人を手伝うなんて、なんて心が綺麗な人なのだろうか、と思った。
人間の価値は、見た目じゃない、障害の有無でもない、心なんだ。心がどれだけ澄んでいるか、優しさが人として最も重要なものなのだと、心から思った。
私のクソ姉は、私の指を折っても、悪かったとも思っていない。そんな、人を思いやれないクソ人間が、世間には多いのに、障害を抱えても、人を思いやることが出来るなんて、感動して、師匠!と叫びたかった。
自分がどんな状況下に置かれても、人に対して、優しさを忘れずに生きて行きたいな、と強く思う。
体調が悪く、原則、家から出られないけれど、でも、何かを始めなければ、何も始まらない。
そう思って、作業所の見学に行った。
何かを始めようとする時は、とてもエネルギーが要るし、新しい世界に足を踏み入れることは、怖いものだ。
だけど、虐めだって、耐えてきた。姉からの暴力にも、耐えてきた。
どんなことが起ころうと、きっと私は解決出来る。進んで行ける。
人生は、修養だ。楽しいことよりも、辛いことの方が多い。
だけど、自分が辛い時こそ、人に対して、思いやりを忘れずにいられる人でありたいと思う。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございました。