【落書き】20,みんなで考えたい
読んでいて、考えさせられるなあ、、という記事にあい、わたしも思う事を述べてみよう、と思いたち。孤独について、書いてみようと思います。
正しいか正しくないか、は、分からないけれど、考えることが大事なんだ、と思って。
わたしの思考の出発点、記事を書いた人はたかあきさんといいます。まずはこちらの記事をお読みください。
孤独をエンジョイできるのはたいがいお金持ちだという、たかあきさんの意見に賛同する。
お金持ちはお金があるから。それで買ったり食べたり遊んだりでき、たいがいの孤独はきえるだろう。
貧しくして、孤独をエンジョイするのは、よほど哲学がある人でなければ難しいのではないかと思う。
ご自身のかつての貧困と孤独を癒やしてくれたものをたかあきさんが紹介してくれた。中上健次の「19歳の地図」だ。
最近の文学で、貧困や孤独を癒やすものは、あるだろうか??わたしは明るくないため分からない。
孤独を癒すのに、わたしは音楽にお世話になった。
かつて、わたしの孤独に寄り添い、生きる活力を与えてくれたのは、クラシックであった。
感動をくれる言葉を超えるものとして、今もわたしのなかにそれはある。
素晴らしいメロディ・ハーモニーの裏側にある、一部の天才をのぞいた、作曲家・演奏家たちの孤独、苦労、絶望、格闘、に思いを馳せる。孤独なわたしのともだちな気がした。
一人の音楽家を紹介したい。ブラームスだ。交響曲第一番を聴いてほしい。さわりの部分だけでも良い。素晴らしいから。
この曲を生み出すまでに20年以上の歳月を費やしている。
ベートーヴェンの後継者として、であるがベートーヴェンの真似事ではない、彼独自の交響曲を求めて20年である。
生涯の友になり得る一曲だと思う。
晩年の曲も良いとよくおすすめされているので、機会があったら聴いてみてほしい。
貧困と孤独は、セットになってるのでは?と、たかあきさんは言う。セットになりやすいだろうなと、わたしは思う。仰る通り、貧乏だと、友だちや配偶者を得るのは、並の人よりハードルが高そうだし。
孤独な人が必ずしも貧乏であるとは限らないが、貧乏な人は孤独な人が多そう。
わたしは東京にいるから、東京・都会のことで考える。
トーキョーはお金がかかる。お金がないと辛い街だ。お金をかけずに済む遊びもそれほどあるとは思えない。暮らしに金がかかる。動けば金がかかる。何にでも金がかかる。だんだん出歩かなくなる。家に引き篭もる。孤立していく。
母は貧乏だった。父も貧乏だった。昔は皆んな貧乏だったという。それでも母は「貧乏はバカにされるんだ」と言い、今でも貧乏を憎んでいる。貧乏の辛さ、わたしにはまだわからない。できれば分からずにいたい。
母にいわせるとわたしは「貧乏」、「本当の貧乏」を知らないという。「本当の貧乏は口では言いきれない」と言う。そうなんだろうなとしか言えない。わたしは黙っている。
80代のあるおばあちゃんは、わたしに「お金ないとさびしいよ」と言ってくれた。「そうなの?」「そうだよ」
孤独は素晴らしいという標語には、わたしも首を傾げたくなる。金のある孤独は素晴らしい、なら、共感はしないが、そういう人もいるのかという気はする。
例えば大自然などに包まれながら生きている人は、お金がなくとも豊かであり、自然の愛と共生し、煩わしい人間関係がなく、素敵かもしれない。
しかし家の中に引き篭もらざるを得ず、孤独、貧しさに耐える人に、響くだろうか。
錯覚、一時の気休め、偽の安心を与えているだけのようにみえる。それでその人が強くなるというのであれば良いが。
しかし、孤独に慣れろと言っているように聞こえるし、わたしたちはもっと根本的に、孤独にならなくてよい仕組みとかを、考えないといけないんじゃないかな、と思う。
人は一人では生きられない。「選んだ孤独は良い孤独」という言葉も、わたしも信じられない。どういう人が、自ら孤独を選ぶんだろう。西行?
わたしの母をみていて思うのだが、孤独で、簡単に人に会うこともかなわないとき、人は誰か、人の声(温もり)を恋しがる気がする。母は切ないほど電話がすきだ。
それ程でなくてもわたしを含め、人はそのように、電話をしたり、またはLINEをしたり、SNSに何かしら書き込みをし、応答をまち、つながりを感じたい生き物なのではないだろうか。
このあたりで、ちょっとわたしの持論を述べよう。
孤独なら少しは知ってるつもりだ。
孤独を忘れさせる、孤独を打ち消すもので、お金以外のものはあるだろうか。
あるように思う。
芸術を友にしている事とか、自分の好きな事を追っているかという事で、孤独感のあるなしは変わるのではないだろうか、と思っている。
芸術と言ったが、精神の拠り所となるものだったら何でも良い。
好きな事を追うとは、自発的な行動の事だ。
対象は人ではない方がいい気がする。ロスがでてくるから。でも、ないよりはあった方がいい。
好きな事が、お金がかからない事であれば最高である。
まあ好きな事というのは大抵お金がかかるのだが。
好きな事に打ち込む情熱が、孤独を消してくれる。
好きな事は簡単に捨ててはならない。
今ないなら、今からでも見つけてほしい。そう思う。
好きな事を追った代償として、「素敵な」生活は夢のまた夢かもしれない。
けれど、孤独感に蝕まれるくらいならば、と、思う。
ここで嗚呼、と言わざるを得ない。
好きな事を続けてゆくにも金がいる。。。
これは皆んなで考えなくちゃいけない。
孤独について思い出したことがある。
noterさんで、面白い生活スタイルの方がいた。自宅の寝室以外を若者に開放して暮らしているという方だ。ヒントがあるかもしれない。
あと、ともだちを作る場として、noteをサードスペースとして何とかできないか、模索している方もいる。
烏を友だちにできる人もいるが、やはり友だち・人は大切だなと思う。
とにかく、繰り返しになるが「孤独」は対岸の火事ではなく、みんなで考えなくちゃいけないとわたしも思う。社会問題。まさに。
長くなってしまった。長いな、、、。
たかあきさん、記事の引用を快く許可して頂き、ありがとうございます。のびのび書きました、、、(*´ー`*)
最後までお読みいただきありがとうございます。
終わります。
まる。