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空を飛ぶ夢
夢の中で龍二は背中に小さくなった親父を括りつけて空を飛んでいた。空を飛ぶというか実際には自分たちが向かっている島に通じる海に浮かぶようにつくられた橋の上数メートルの空中を飛んでいたのだ。時おり路面すれすれまで高度が下がる。もう少し上に上昇しなければと思うのだが操縦権は親父が握っているようで龍二には飛行をコントロールすることができない。すぐそこに対岸の濃い緑の葉を付けた樹々が密生している島が見えてきた。あと少しで島までたどり着くというところで橋に激突しそうになって目が覚めた。奇妙な夢だ。きっと昼間葬儀場でおかしなものを見せられたからかもしれない。
その日の午後、やっと父親が納棺された時、葬儀社の社員たちが『スムーズにあちらに行けるようにこんなものをご用意させていただきました』と取り出して見せたのは小さな折り紙で作った自動車やら舟やら飛行機やらの乗り物だった。中にはUFOの折り紙まであってちょっと笑ってしまった。乗り物をいっしょに棺に入れると死者がそれに乗って早くあの世に行けるというのだ。『昔はそんなことしたかな?』と何年も前の母親の葬式のことを思い出そうとした。しかしそんなことがあったとは思い出せない。もうすでに母親の葬儀自体ほぼ忘却の彼方にはいってしまっている。折り紙を入れるのは多分最近の風習もしくはこの葬儀社のアイデアなのだろう。「やさしさ」が売りってことか。
ポケットの携帯が鳴った。東京の兄からだ。まだこちらに向かってすらいないのだ。一応喪主なのにいい加減だな。兄夫婦は親父とは長年疎遠だった。兄嫁が気の強い変わった女で龍二も苦手だ。はっきり物を言う性格の親父は彼女を蛇蝎のごとく嫌っていた。自分が嫌われていることを早くから感じ取っていたらしく嫁も親父を嫌うようになる。尻に敷かれた兄は嫁の言うなりで次第にわが家から足が遠のいていった。
三週間前、親父が倒れた時もちょっと顔を出しただけでそ兄貴はそそくさと帰って行った。大したことはないという医者の説明を間に受けてなのか、それとも単にいろんなことから逃げ出したかっただけなのか。少しは親孝行のフリをしてもいいのにな。嫁は全く姿をあらわさなかった。夫の実家のことには一切関わりたくないというスタンスなのか。
親父の健康状態が良くなくなってきたとき独身で実家住まいだった龍二がなし崩し的に面倒をみることになった。段々とゆっくりと状態が悪くなっていったので親父の介護の件ではまともに兄貴と話し合ったことはなかった。『自分は東京でローンの返済で大変な思いをしているんだ。この上親父の面倒は見れない。大体親父も俺と嫁に世話してもらいたくないだろ。』とでも言いたいのだろう。兄は親の衰えを認めたくないのかもしれないし自分たちの生活で手一杯なのかもしれないが、いつもズルく話し合いから逃げているように龍二には思えた。いよいよ親父が動けなくなって介護の必要性が出てくると龍二は早期退職を選んだ。簡単な選択ではなかったが仕事にそして職場の人間関係に行きづまりを感じていたという側面もあった。
龍二が退職していくらもしないうちに圧迫骨折で親父は入院した。その後何とかリハビリを経て退院したものの体力はめっきり衰えていた。そして半年ほどした春先のある日、龍二が買い物に行って戻って来ると親父がベッド脇に倒れていた。その日の朝、足の運動のために散歩に連れ出したときには何も異常は無かったし昼食も普通に食べていた。何の前触れもなく突然にそれは起こった。とにかくすぐに救急車を呼んで病院に運んだ。脳内出血だった。症状としては重くないが出血した所が良くない場所にあるため後遺症が残ると医者は言った。でもそれで命にかかわることはないからと医者は保証した。しかし医者のいう事なんて当てにならない。本人はとうに平均寿命を超えているしそうでなくてもいろんな持病を抱えて健康状態は悪化する一方だったのだから。一週間もしないうち病院はもともと深刻な状態ではないし症状が安定しているから早く転院してほしいと催促してきたので転院先をあわただしく決めた。そしてあと数日で転院となったある日の午後、医者から病状説明の電話があった。症状は落ち着いているということで後は転院の際の注意点だった。ところが夕方になって病院に呼びつけられた。三時間もしないうちに容態が急変してしまったのだ。親父は深夜に息を引き取った。これから長い入院生活が始まると覚悟していた矢先のことだった。今から大変になるはずの親父の介護生活もあっけなく終わってしまった。
親父が死んだらあれをしようこれをしようなど色々と考えていたがそれはもうどうでも良くなってしまった。ぽっかりと心に穴が開いたというか。親父が倒れる前夜、龍二はベッドの上で親父が独り言をつぶやいたのを聞いた。親父ははっきりと「まだまだ生きる」と言ったのだ。『やめてくれよ』と龍二は心の中で叫んだ。『俺のことも考えてくれ』。
でも全ては終わっってしまった。兄は僧侶が到着する直前に葬儀場に滑り込んできた。嫁もいっしょだった。ガラにも無くしんみりしている。まあいい。そのうちいつもの調子に戻るだろう。これから彼ら相手にひと悶着あることは容易に想像できる。でも今はそれは考えたくない。
全部手早く終わらせて一区切りついたらしばらく何もせずゆっくりしよう。それから自分のために自分のためだけに何をするか考えよう。龍二は喪服に着替えながらそう思った。
終わり