自死について考えさせられる
最近、官庁がメディアに子供自殺の啓発アピールに力を入れ出したのを知った。
啓発して、誰が結局手を出すのだろう?と思うが、結局は誰も手を出せないのではないか?と思う、
見えない部分でボランティアや非営利組織が続けているのだろうけど、大抵は困ったらネットを見るだろう。
しかし、ネットに上がるのはビジネスやまとめサイトが目立ち、繋がるのには敷居が高かったり、ありきたな事ばかりだったりする。
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人間の生死について触れる機会が増えている。
何か問題があっても「それは〇〇だよ」という声は、むかしを生きてしまっている人間だ。
根源的な問題は変わらないかもしれないが、表面的な部分はコロコロ変わる。
人間や世界が現在進行形の中で生きて、進んでいるからだ。
福島の亡くなった、ある和尚の言葉を借りれば心無い…心を無くした状態と言える。
確かに自死するのは普通の状況ではない。
また最近、自死をライブにして映している人間がいると聞き驚くが、どちらも心を無くしているのだ。
少し前にサイコパスというのが流行り言葉になった。
いわば普通や並の状態ではないことを、サラッとやってしまうのだから心無い。
表現の自由というのもあった。
だか、やはり何かを害して表現してはいけないのだ。
見なければいいとは言えど程度が超えている。
何にしても「防御」というのは必要だ。
おぞましいものや、普通を超えたモノを入れては生活が狂う、感化されるというのがある。
防御…壁ともいってもいい。
世の中に抜けてしまったのは、この部分だろう。
単に、首相のスナイパーを捕まえて賞賛されたたとかではなく、スナイパーが発生しないように持っていかなくてはダメなのだ。
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昔と違うのは、先にあげた自殺を(個人が)LIVEにしてしまうのが容易にされてしまうことにある。
例えていうなら、本来なら放送事故として晒してはならない事態である。
もし、やってしまったなら関係者をすぐ探索しただろうと思うし、ニュースにもなる。
自殺幇助になるだろう。
だが、戸田の学校で酒鬼薔薇に似た事件があったが、いまや大騒ぎするどころでもない状況を見ると今の「文化」が、暴力性の一定ラインを超えたり、克服したようにも見える。
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