自閉症気味な物言わぬ子
育ちが悪いのは否定しないが、自分自身ものをあまり喋らないという過去はあった。
それが、たとえ他人から勘違いされるとしても、どうしようもない性分で悪い癖でもある。
治せといわれたり、矯正されるという話はあったが、世の中に出てみれば、それは沢山の魚のうちの一種類に過ぎない、というのが今は分かる。
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結局は、当人の性質を周りがどう受け止めるか?でしかないのだ。
それが、途方もなく邪悪なら問題だが、無味乾燥、無個性、人畜無害なら、まだ放っておいてもよいのではないか?
これが、むかしのムラ社会ならば、使えるか?どうか?で見られただろう。
使えなければ穀潰しだの、かまど消しかなど、叩かれたに違いない。
人間、喋って面白いことをしなくてはいけない、売りな世の中になった。
人畜無害や無個性、無為という他害のないだけで、どれだけ素晴らしいかが、分かっていないのだ。
古代の宗教家…白隠さんや明恵さんは、思い詰めるものが感じられたが、一休さんや〇〇さん(←名前が出てこない)は、子供が近寄り、他害の無さがあった。
何かをする時に加害したり、損なったり、迷惑をかけることはある。
それを、互様と済ましてしまうのが現代だが、そればかりしていては、イライラは募る。
何もしない、他害にならないことをしないというだけで、能力であると大目に見てもいいのではないか。
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カオナシの本性が自主性がなく無個性だとしたら、それでもいいのである。
何かに影響され、悪さをしたり、戦争に加担するより、ずっとましである。
無為もそうだが、結局、物になることをせずに過ごしてしまうものが少なからず居るがイジメや破壊をしないから、全くマシだ。
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