成長や成熟について
成熟や成長がなにか?が問われた時期が少し前にあった。
教育の絡みでいまも時々語られることがある。
大人になるとは何だろう?
私には今も分からない。
昔、若い子に見た大人のイメージに近づいたと思えないし、今でも品のないことも時々いうから、大人といえない。
河合さんなどは、だれの心にも老若男女が居るといったが、要はどれを出した方が、生きやすいか?なのだろう。
心理学はアニムス、アニマが絡んでくるから、成熟した何かのイメージを好み(※)、また、それになりたがるから、その時の成熟具合が分かるのだ。
(※)肉体→言葉→知恵→菩薩(賢者)
歳をとれば、大人になるというが本当だろうか?
世の中には、大人なのに大人じゃない振る舞いをするのがいれば、子供なのにしっかりした考えをするのもいる。
大人ではない者に「アナタは大人じゃないなどいえば」怒るだろう。
やっている子供っぽさを綺麗に見せて自他ともに喜んでいる雰囲気で酔っているからだ。
また、白黒つけたがるのは大人だろうか?
返答や解答を保留にするのは心理学では成熟の指標にときどき使われる。
スッキリさせず、問題を問題のまま扱い、答えが出るまで持ち続ける力と視点だろう。
しかも、その解答がスッキリとせず、意味が無いという場合もあるだろうが、意味がなくても、とりあえずやってみるというのも、成熟の指標かもしれない。
そこが、若いと、どうしても「これ、意味あんの?」とすぐ言ってしまうし、すぐ別の方法で要領の良いやり方を使い進んでしまう。
いま流行りのコスパがいいとか、頭のキ良い人間の上手い生き方の動画みたいだ。
しかし、その生き上手さというのは、結局は自分の領域を出ていないし、必ずしも、他人にマッチするとは限らない。
だから、基準点とかアベレージ、それさえできればよろしい、というのに落ち着くのだ…本来は。
そして、出来る者にとってのやり方が、皆に通用すると限らない時点でショウ、見世物になってしまう。
喜んでいるのは本人や、それが自分も出来るという者か、または出来る者に感情移入している者かもしれない。
そして最近は「愚直にも一途」というのが、褒め言葉として聞かなくなった。
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結局は、方便でもある。
いや、センスある方便を使うというか、悪巧みや、おちょくりなしに、それを使いこなせて、役に立たたせるというか。
負け戦というのもある。
仕事などしていれば、意味の無いこともあるし、雑用じみたこともある。
結局、意味がなかったというのもあれば、意味が無いように見えて後から、やってよかったこともある。
即断しがちな若い頃には、なかなかこの感覚は分からないかもしれない。