家族主義とオキシトシン
子育ては贅沢だろうか?
いや、子を儲けるのは大変なことだし、結婚しない若い子が多いとあっても、一方では、それなりに成功しながら家族を持っているのもいる。
たしかに、家族というのは人間二人称以上の単位でありながら、シェルターにもなっている。
外に出れば7人の敵(不都合?)に遭う、というが、他人が個人の事情など知ってくれないし、逆もまた然り。
従って、安全地帯としてのファミリーというのは、生きるための機能として、充分役に立つのは、わかる。
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ボディータッチについての本を読んだ。
別にいやらしい本ではなく、臨床心理士が書いた、触れることの効能、安心感について、ちゃんと書かれたものだ。
要は動物や人間は触れられると、安心したりオキシトシンが出て、リラックスできるというのだ。
オキシトシンについては、最近は賛否がある。
身内にはいいが、外部にはキツく当たるようになるとかで、あまり良い印象はなくなってきている。
ただ、家族というシェルターを機能、基本的な基地と考えたら、自然とオキシトシンを肯定する、流れになるのだろう。
あるドキュメントでもやっていた。
子育て最中はネズミがキツくなるという実験が紹介されていたが、互いに気持ちよくなっていると、軽い共依存になるのかもしれない。
酷いたとえかもしれないが、ヒトラーが実は良い人という意見に、家族を愛する総統の白黒動画を、持ち出して説明してくるのだ。
家族というシェルターから見れば、大事にされる集団というのは、集団の内にいれば良いと映るのだろう。
そんなときは、ガス室の毒ガスボタンを押したことはサラサラ忘れているのだ。
なお、アイヒマンでさえ帰宅して家族を養い…と、やっていたが、世の中の視点から見たら分からなくなるのだ、外部の人間に何したかが。