最近の性など(非えろ)
大吉原展が開催されるという。
史上のニーズを読んだ結果なのか?
その道に対して最近は、オープンなのか知らない、。
しかし、専門家曰く、吉原の背景には切ないことが、無数にあり、それを考えたら、やるものではないという。
すると、表現の自由…云々となる。
侍が無くなったとき、母娘が身売りした話などがある。
仕方なくやったことだ。結果として煌びやかな格好で客を引くという振る舞いになったのだ。
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一方、梅毒も増えているようだ。
なんだか、コンビニ感覚を思わせるが、そう考えると、その道に対しては、オープンというよりも、流動的になり、結果として病を得た、と見る方が分かりやすい。
夜回り先生も静かだし、河合隼雄もいない。
子供はハイティーンにもなれば、ませにませてくる。
河合は、身体をどうしようが勝手でしょ?という女子学生を頭ごなしに叱ったという。
不純交際も個人の勝手ではなく、筋を通すために叱ったのだ。
いまなら、個人の自由や、その道(性)の自由を広げるために、煙たがられるやり方かもされない。
なんせ、買う大人がいる。
コチラは金が入るし、相手は満足だし、という消費者意識が、その道(性)にも浸透したのだろう。
なお、内田さんなどは身体(性)を容易く扱う者は、自他ともに、身体を容易く見るという。
消費物として、敷居を下げた身体の扱いは、程度やレベルの問題である。
河合や内田さんの考えから読み解くと、どうやら、その道(性)というのを、低くしておくか?大事な体の一部として扱うか?という動物では無い、人間の尊厳に関わってくる。
今野さんの作品にも、容易く、その道に誘うというのは、相手をケダモノとか低く見る視点であり、相手を尊んでいない、という描写がある。
どうやら、容易く〇〇というのは、自分や他人や世界を大事にできるか?に関わって来るようだ。
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