闇バイトの事件について(高等教育など)
特殊詐欺が先に目立って、やる事が強盗など派手になっていった感じが闇バイトにはある。
数年まえ、報道で若い女性に詐欺売春を強要した国立大の大学生が、インタビューされていたが「この経験を活かして就職後もやっていきたい」と、ポジティブに語る口調は聞いていてひっくり返りそうになった。
要は、内容を問わずポジティブに上手くいけばいいと考える思考は、大人世界から引き継がれたものだ。
ポジティブな口調で語られる言説は世の中にゴロゴロ転がっている。
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強盗した大学生が事故死した記事があった。
募集で集まった見ず知らずの仲間と金庫を盗り、事故死したそうだ。
親は、あんないい子が!というのだが、若い子…特に大学生の裏の評判の良くないのは昔からある。
麻薬とか、黒い世界に入ったとか、よく分からない商売をしているとか、色々聞く。
「科挙が人をまとめる君子を作る云々」と聞いて笑えるが、何のための高等教育か?
要は良い学校に入り、良い会社に就くというシステムは前から全く変わっていない。
高校くらいまでは、まだ派手なことはできないが、自由度が上がる大学などでは、もう「世の中」であると見ていいし、なかで何がされているか分からない。
良いことも、悪いことをするのも能力(≒生命力)である。
その出来事が己を超えない限り、いくらでも行ってしまう。
いままでが、勉学に励み、本人を見ていなければ、裏でとんでもない事件な手を染めていたなど、見えないだけでもっとある気がする。
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若さは無鉄砲さある。
たぶん、心理の先生の話だったが「幼少から少しづつ悪いことをして失敗して、生きていれば大きくなって、(大抵は)とんでもないことはしなくなる」と言った。
要は、失敗(善悪)の判断の成長である。
つくづく思うのは、この善悪の判断は、自然に身につくだろうという、文化的な健気さ…ある種の文化の病があるように思う。
生きていて、なるべく〇〇はしない方がいいと、善悪の相似形というものから、ものごとを推測するのは、自分が経験や身に付けるものではないか。
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なぜうちの子が?というのは、あまりにも健気過ぎる言葉だ。
暗黙の了解では、大学などは入ればどこかで変なことをするものだ、というのがあると言うし、一方では入った者勝ち、みたいなものがある。
入るのは大変だが出るのは楽というのはある。もちろん、付いていくにはそれなりの学力は求められるが。
左派の人が「会社という暗黒大陸」⋯なかで何がされているか分からない集合体といっていたが、その始まりは高等教育で感覚的に身に付け、世の中はそんなもんだと察し理解するもの、な気がする。
また、就活前に外れた生活していて、学生生活の普段着で面接に来なさいと言われれば、多くは落っこちるはずである、本来は。
世の中の矛盾は高等教育から始まるように感じる。
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