ロスジェネについての私見(その他)
ロスジェネ(氷河期世代)について、思うことを書いてみたい。
書く、と言っても見聞が狭いなので偏見になるかもしれない。
ツイッタにも書いたので以外…
世代論から説明しなくても、言わば人生の大事なときに犠牲となった人間…たとえば、戦争の時突撃に行った若い兵士みたいなものだろう。
たとえが極端かもしれないが、ある時代により、その時代を生きる人間が影響されイバラの道を生きるというのはありえる。
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インディアンが犠牲になった過去がある。
しかし、移入者の次の世代は、事情を知らない。
事実「なぜ、私たちがそこまで考えなくてはいけないのか?」とを反発されたことがあったようだ。
人間は時代の脅威に晒されることがあるし、次世代からの不理解にも悩まされるようだ。
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いや、世代間でのギャップや不理解というのは、近い世代の間で起きるわけでもないが、その差が激しいのは事情を知らなくなった世代に出る。
最近では戦争(原爆)被害を語っても、もう若い子にはまったく分からないし、戦後世代の皮膚感覚では共感や通用が難しいようだ。
戦災体験を語っても、発表者に心無い言葉を投げる若い子が居たという。
これには、身近に戦争や直接あるいは間接的に痛みを伴う体験が…壮大なトラウマのようなものがなく共有体験が出来ないからだろう。
たとえ、ウ露が戦争をしているといっても、間近で流血をするわけでもない。
幾らでも対岸の火事にできてしまう。
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無論、今を生きる若い子にも苦悩はあるだろう。
私などの中高年が見ても、親子間やSNSを介した本能的な暴力の脅威に晒されていると感じるし、これでは戦争など知る余裕は無いとも思ったりする。
しかし、何かを損なったり、蔑(ないがし)ろにされるというのは、その時に生まれた人が味わう時間的・時空的なものである。
これには、イメージが無ければ互いに繋がったり、語り合うことでわかることも無い。
たまたま、その時代に生まれてしまったゆえに、悲劇を体験する…これは、先の戦争や不条理な体験が運命ともいえる。
そういうものに近付き、分かりたいと思ったら、歴史や戦争を勉強するしかないのではないか。
そのような不幸(?)の萌芽なり、始まりは意外と身近なところに実はある。