Be Real.
勤務校では9月に文化祭があり、文化祭では「弁論大会」が開催される。クラスで選ばれた代表者が、学年ごとに設定されたテーマに沿って論文発表を行うというものだ。文化祭に先立ち、9月の授業ではクラス代表を選考する事前発表を行う。今回私が担当した高校2年生のテーマはこちら。
「少年よ、大志を抱け」が大きなテーマとなったコンクールである。この事前発表ではランダムで当たった生徒が順に発表していくのだが、このくじの中に毎年私の名前も混ぜてあり、私が当たったら一本文章を発表するのが恒例になりつつある。ということで、今年の高校2年生に向けて用意した文章を掲載する。
Be real
「少年よ、大志を抱け」この言葉は、世間で広く知られているだろう。英語にすると、「Boys,be ambitious」である。つい最近、東海道新幹線の車内チャイムからは消えてしまったが、有名なジャニーズ系バンドが歌っていた「Be ambitious!勇者であれ!」という有名な曲のメロディとともに、この言葉は耳に残っているかもしれない。しかし、果たして、16歳、17歳の少年少女に、「大志」を抱くことはできるのだろうか?
私が高校2年生を担当するのは人生で2度目である。以前は別の学校で、特進クラスの担任をしていた。「将来やりたいことが決まっていないので、大学選びが難航しています」という相談を、複数人から受けていた。当時の私は大人としてありきたりなアドバイスをした記憶があるが、薄々感じていたことがある。「15年ちょっとの人生経験で、今後自分が30年40年と続けるかもしれない職業を、そんな簡単に決められるのか?」と。
この中にももちろん、自分の進むべき道が見えず、思い悩んでいる人もいるだろう。進路のことを考えているうちに頭がぐるぐる、考えがあっちへ行ったりこっちへ行ったり…「結局自分はどうしたいんだろう?」不安だけが残る。
8月末、私は勉強合宿へ赴いた。高校2年生、高校生活最後の勉強合宿である。参加してくれた生徒は皆、去年とは見違えるほど成長した姿を見せていた。現代文の問題が解けず、悔しさに涙する生徒もいた。とても充実した合宿にはなったが、毎晩教員室では台風予報と睨みあいが続いた。もともと帰宅する日に静岡県に直撃する予報であったため、日程変更も含め様々な可能性の検討を余儀なくされた。結局台風はふらふらと北上したのち、徐々に西寄りに進路を変え始めた。最終的には九州へ上陸したのち、行き場を失ったかのように停滞、右へ左へ蛇行することとなった。結局、進路予報は大外れである。我々教員陣は、携帯を取り上げられ台風の進路など分からず、「今」目の前の課題・問題集に精一杯取り組む生徒たちを尻目に、未来の「進路予報」に右往左往していた。
このように「今」を一生懸命に生きることは、とても素敵なことだ。しかし、今ばかり考えていては、気づいたら決断の時が来てしまうのだ。
現代の10代は、「今」に縛られているように感じる。SNSが発達した現代において、即時性が最優先になり、未来に考えをめぐらす力が足りないのではないか?と。
今「Bereal.」というSNSが流行している。まず、1日1回アプリから通知が送られてくる。通知が来る時間は決まっていない。早朝のときもあれば、日中、夜のときもあるそうだ。
通知が来たら、2分以内にアプリのカメラで撮影する。投稿するコンテンツは、前後カメラで自撮りと周囲を写した画像や動画だ。スマホに保存してある写真や動画は投稿できない。すなわち、加工アプリで加工したものは使えない。
例えば、14時に通知が来たとする。学生であれば、ほとんどが授業中だ。普通の人は撮影しないか、机と床などを写すだろう。しかし、先生の目を盗んで自撮りと前に座る友人を写すことに成功する人、大学生であれば授業をサボって学食でのんびりしている様を撮影する人、まだ自宅で寝ている人など、友人のリアルが共有されていく。この「今」を共有するSNSが爆発的に流行するさまは、まさに若者が「今」に縛られていることを表しているのではないだろうか?
「今」を共有しても、未来は変わらない。しかし、未来を考えることで、「今」の行動は変えられる。「大志を抱く」意義は、ここにある。
一応こう見えて、私は「大志」を叶えた先輩である。「今」と「未来」、どちらが大切かは明白だ。光り輝く未来に向かって、今後も皆さんを人生が進んでいくことを願っている。