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自分軸と傲慢さって紙一重だと思う
自分軸って生きる上で大事だ。特に日本のような長い歴史の中で同じ民族のみで発展してきたが故に仲間意識が強く、他者との境界が曖昧になりがちな場所だと特に。
日本人が持つ特有の仲間意識は、例えば戦争時のような共通の敵がいれば相手が怯む程の恐ろしい結束力を持つ。それぞれの個性を重視する国の人からすると、その異様なまでの団結力はとても理解し難いのかもしれない。守りたい大切なものの為に結束する事で生まれるその力は時に、明らかに敵わないとされた相手にすら打ち勝つ奇跡すら生む。綺麗にまとめるなら、私達の潜在的にある仲間意識は日本民族の血や伝統や文化が絶えないよう刻み込まれた祖先から願いなのかもしれない。
ただ現代のような一見平和そうに見える世の中ではこの美しいとされた仲間意識は、同調圧力へとその姿を変えている。個人的には教育とメディアの洗脳によるものだと思ってるが。
仲間意識により他者との境界が曖昧な分、少しの違いを過敏に感じ取り、それが「周りとつい比較して優越感や劣等感を感じてしまう」といった悩みに繋がりやすくなるのだと思う。海外の方が生きやすさ感じる人が多くいるのは、この水面下にある強迫観念に近い仲間意識という名の同調圧力が無くなり、国も文化も見た目も違う中で、自然と他者との境界線が生まれ、適度な心の距離感で人と接する事ができるようになるからではないか。
この国で生まれ育ち、同調圧力に苦しみ続ける私が、心を守りながら尚も日本社会で生きる為には、自分軸を持つ事が鍵になると考えた。
昨今よく耳にする言葉である”自分軸”だが、頭では理解しても、今の日本で実際に行動や心に落とし込む事は酷く困難だと感じる。直感や心の声に従って生きるような同調圧力から逃れる裏切り者には、もれなく制裁と弾圧と嘲笑と拒絶と孤立が両手を広げて待っているからだ。しかもそれは外からだけでは無く、自分の内側からも容赦なく罵声を浴びせてくる。
「自分勝手だ」「甘えだ」「逃げだ」「社会人失格だ」「恥だ」「未熟だ」
この無意識に引き起こる強迫観念。“仲間意識”から“同調圧力”へと姿を変えた呪い。
祖先達の純粋で綺麗な願いは呪いへと変えられてしまった。
圧や声に潰されないよう「色んな生き方があっていい」「私はこれでいい」と幾ら自分を鼓舞しても、長い年月をかけて綿密にかけられたこの呪いは強力で根が深い。
それは目には見えない水面下で、じわじわと確実に心を蝕んでいく。
だんだん疲弊してきて「色んな生き方があっていい」から、「私は正しい」「私は間違っていない」と語気を強めた言葉に変わっていく。そうしないと保てなくなるからだ。
そして“自分の生き方の正しさ”の主張を始めた辺りから「自分軸」の陰に「傲慢」の存在がチラつきだす。様子を伺いながら“勝ち負け”の土俵に片足を踏み入れた私を見てほくそ笑むのだ。
同調圧力からの脱却、それによる制裁と弾圧、無意識下の脅迫、それでも抵抗し続ける先には、己の軸と傲慢さとの間に迷いと葛藤が始まる。
悩みが消える事はない。