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8/9 『悪い夏』を読んだ
購入したのは何年か前の冬、セルフお誕生日プレゼントとして近隣の書店を巡って目についたもの気になったもの予算の許す限り買いまくったうちの一つだったが、特に狙ったわけでもなくたまたま夏真っ盛りの時期に読むこととあいなった。奇しくも今年は馬鹿になっちゃいそうなくらいの酷暑、悪いというならこっちだって負けちゃいない。俺の夏とお前の夏、どっちがより悪い夏か……勝負だ!
……いや負けた負けた、悪っる……冒頭の十数ページだけでもうだいぶ精神衛生に悪い。何が悪いって、たとえば数日前、スーパーのフードコートで昼食がてら読んでたのだけど、隣に座った人が後ろを通るときに荷物を俺のイスに軽くぶつけて、なのに何も言わずにしれっとそのまま座ったとき、たちまちこのクソ野郎……!という苛立ちが募ったのだった。作中のクズ人間描写にあてられて、作外の、己の周囲にいる市井の人もこんな奴らなんだろうって気分になってしまう。
作中に出てくる奴らは嫌な奴らなんだが、その心情に共感することもある。小説ってのはそういう作用がある。登場人物の語りに心を重ねてしまう作用が、その瞬間が。そうしてそんな嫌な奴の心情をトレースする(できる)自分も嫌な奴なんじゃないかという自己猜疑、自己嫌悪に陥りかけて、それを否定するために、その気持を外に向けたくなる。つまり俺がそうなら周りの奴らだって、いや周りの奴らのほうがきっとクズだ……という自己欺瞞。心が荒んでいかないよう気をつけて読んでいく必要があった。
しかし読み進めていくと子どもを虐待したりクスリを売ってたりと、さすがに共感しそうにない未体験な描写が出てきて、すると登場人物との重ね合わせは薄まり、荒んだ気分はやわらいでく。犯罪や暴力の匂いが濃くなるにつれて、共感の目線の代わりに社会のアンダーグラウンドを上から覗き見る好奇の目線が強くなって、「面白くなってきた」って気分になる。勝手な話やね。なので序盤はちょいと辛かったが中盤以降はだんだんページをめくる手が快活になっていく。
最後にはオールスターのように登場人物が一堂に会してドタバタを繰り広げ、さすがに笑ってしまったけど、あとがきなんかを読むかぎりこれはわざとやっているようだ。いくらでも悲劇のまんま登場人物全員を地獄に落とすこともできたが、なけなしの意地と信念と最後の良心と、あとはもう何が何だかわかんない何かによって、出来合いの喜劇に仕立て上げられた。もちろんそれで何かが解決するわけでもなく、順当と言えば順当な惨状を呈し、だがそれでも人生は続く。エピローグでの佐々木の独白は、希望を示唆するようにも、そうでないようにも思えたが、きっとどちらでもなく、いずれまた悲劇か喜劇を生むための種火、にもならない燻り、といったところだろう。まあ、それでも夏は暑いから、休みたいときは休めるだけ休んだ方がいいと思う。そのために生活保護を使うのを、悪いとは言うまい。