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11/12 『コズミック 世紀末探偵神話 新装版』を読んだ
初めてノベルス版を目にしたのは高校生の時、図書館で。しかしその時はさわりだけをちょろっと覗いただけで引き返し、ちゃんと読んだのは大学生の時。面白かったと記憶しているが、当時は世紀の怪作と謳われたその存在を受け止めるだけで精一杯だった。精一杯面白がったのだ。あれからだいたい15年、今読んでみてどういった感想を得るのか、自分で自分にドキドキしながら読んでみた。
ただ……15年って思ってた以上に長い年月で、いざ読みだしたら、内容を全然覚えてなかったことに気づいた。登場する探偵たちやその推理法、事件の真相と犯人、序盤は密室殺人の様子が続々と描かれていること……などは覚えていたけど、後半の推理パートなんかは全然。これをして「細部の記憶は曖昧」と言うのもなんか違うなってくらいにはいろいろ忘れていた。お蔭で真相を把握したうえでどのように事件が解決されていくのかを見ていけたから、明かされる真相に「何だよそれ!」と声を上げるようなこともなく楽しめた、と言えなくもない。最初の目論見とは微妙にズレてしまっている気はするが、それでも「15年ぶりに改めて読んでも面白かった」と言っていいと思う。
まず前半部分の、人々が相次ぐ連続密室殺人事件に巻き込まれていく部分が結構楽しかった。1994年当時の時代背景と、その描き方……後年のラノベやミステリなどに影響を与え、受け継がれていく表現などが楽しいというのもあるし、探偵でも犯人でも被害者でもない、目撃者の描写も力が入っていていい。一人一人に名前と思想と人生経験があり、深遠な人間描写とまではいかないかもだが、なんだか『軌跡』シリーズのモブキャラクターたちのようなひとくち個性が花を添えている。これが19件も続くのはさすがに長いのだが、このボリュームこそが必要であり必然であるという気にもさせられる。させられてしまったのなら、もうそれでいいんじゃねというのがこの15年で培った読書観だ。
キャラクターということで言うと、連続密室殺人事件という常識外れの事件は起きているものの、事件序盤で描かれる人々はきわめて現実的な、現実路線の人物造形をしているのだけど、作中にJDCという言葉が出てきたあたりから、出てくる人物はキャラクタリスティックな名前や造形が目立ち始め、事件の内容もどんどん非常識なものになっていく。これではまるでJDCの存在こそがこの世界を流水大説たらしめているかのようだ。確かに探偵という存在は最も現実とミステリ小説において意義が乖離した存在であるから、「事件に探偵が介入する」ということは「現実に物語が介入する」ことと同義なのかもしれない。探偵こそが現実を物語という密室に仕立て上げるための鍵なのかもしれない。
しかしまあ、どうかと思う部分も多分にあったことは否めない。否む必要もない気もしている。変な部分は変って言っていいと思う。濁暑院溜水の字を反転させたら清涼院流水だ! ってわざわざ作中で丁寧に説明するところとか、うん、見りゃわかるよ……文中に出てきたときからそう思ってたよ……言う必要ある? って思うし(作中においては人名でもなんでもない「清涼院流水」になるからって、何? ということにも触れないし)、解決編の前になって探偵たちがそれぞれに過去回想に入るシーンとか、人気週刊連載の完結前の引き延ばしみたいだった。こういうの、シリーズ化する前提で入れていたのだろうか。投稿作でこういうことするのはNGとか聞いたことありますよ。
そして解決編だけども、それ自体は一度読んでいるのだし、今更どうこう言うことはない。ただ、15年を経た今この時代にこの真相を読むことに、なんだか別の意味で不穏な気持ちになるというか……事件の手がかりの符号のさせ方があまりにも陰謀論そのままで、しかし事件の真相と世界に秘められた秘密は陰謀論以外の何物でもないわけで……陰謀論で秘密暗黒宗教結社の企みを看破するという、い、いいのかこれは? と変な気をどうしても回してしまう。一国の政治中枢にまで教団が浸透してたみたいな、当時は一笑に付すか馬鹿にするなと本投げつけたりするで済んでいたようなことが、今や、そうでもなくなっているってのが。今読む意味が生まれてしまっている……のか? 時代が流水大説に追いついたってか。ほんまかなあ。
いろいろ考えたりしたものの、15年越しの結論として自分なりに「『コズミック』とは何だったのか」を一言で表すなら、ズバリ「『コズミック』とは意地悪クイズである」。フェアなミステリ、フェアなゲームと謳いつつ、しかしどこか挑発的に仕掛けてくる。「読者への挑発状」なんて言っているように、「謎を解くための情報はちゃんと出しましたけど? ここに書いてありますよね? 書いてあるんだからフェアですよね?」的なニュアンスがある。腹立つぜ。昨今流行ってる謎解きゲームとかと同じ趣向を感じる。あれも俺好きじゃないんだよな。いや『コズミック』は好きだけど。しかしそう考えると、『カーニバル・デイ』の最後の「謎」があれだったのも頷ける。いやはや読み返してよかった。15年前に1回だけ読んですべて把握した気になって、折に触れてネタ扱いしていたことにやや後ろめたさもあったんだよね。2回も読めばもう安心してネタにもできるし、素直に愛読者であると自負できるというもの。『ジョーカー』の新装版もそのうち読みたいし。面白かった。
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