見出し画像

5/23 『鎮魂歌 不夜城Ⅱ』を読んだ

前作の感想文(https://note.com/moderatdrei/n/n624c41c557eb)に書いた通り、ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』の文体を模したという本作を目当てに、このシリーズを読み始めたわけだが……いざ読んでみると、なんかあんまり……というか全然、エルロイ文体していない。と感じる。確かにダッシュ線や体言止めの短文などを多用しているが、そんくらいでしかない。こちらが慣れ過ぎてしまっているのだろうか? ちょうど、というかここ数ヶ月、ちょっとした待ち時間とかスキマ時間に冲方丁の『シュピーゲル』シリーズをスマホでちびちび読んでいたこともあり、エルロイ文体をより発展させたクランチ文体(※非公式見解)に親しみ過ぎて、これくらいの体言止めはもう突飛く感じなくなっているのかもしれない。
ただ、滝沢が事件の謎を追って捜査するパートは、結構エルロイしていた。『ホワイト・ジャズ』しかり『マルドゥック』や『シュピーゲル』しかり、この文体は事件の捜査に向いているんだな。バラバラな手がかりを、論理や盤上思考よりも足や人海戦術ベースで集め、組み上げていくのに、体言止めによる細かなワード群と計算式たる記号がマッチしているのだ。
お話はもう、暗澹に暗澹を窮めたどうしようもなさ。前作で苦汁を呑んだ劉健一が憎しみを力に変え、想像以上の悪党、いや腐れ外道っぷりをもって事態の黒幕として君臨している……ここまでやるかと感嘆とも溜息ともつかぬ何かをじっくりと吐き出していた。そしてまた健一に限らず、登場人物がことごとく真っ黒で、それ故酷い目に遭って死んだり無惨な結末を迎えたりしてもあんまり同情の必要がない。さすがにちょっと可哀相と思えたような人らも、事の真相が明らかになるとともにそいつらも結局クズだったんだぜという聞きたくない真実が明かされるので、なんっかもう……、て感じだった。唯一マシだと思えそうなのは秋生だが、しかしその純粋さも所詮は甘ちゃんに過ぎず、この歌舞伎町では生きてけないだろうなという説得力たっぷりに描かれる。楊偉民の言葉通り、この世が地獄と言わんばかり。健一は楊偉民にたっぷり絶望を味わわせたくて今回の事件を画策したのだろうが、しかし楊偉民をもっとも絶望に叩き込まれたのは、周天文が殺しを頼んできたときだったんだろうな。堅気として育て、それ故に縁を切った筈の息子がそう頼んできたことが。
だが滝沢と秋生の共同戦線は、信頼も何も無く、果たして本当に繋がっているのか、トリックアートのようにそう見せかけているだけなんじゃないかという不安定さで互いの欲望を結び上げて展開されるその様は、非常に緊張感に満ちていてよかった。最終的にはドロドロのグチャグチャでも、そこには何かこう……風が吹いていた。家麗だって、力にはならなくても、最期まで諦めずその生き汚さを晒したのには、一種の尊敬を覚えないでもない。堕ちるべきところに堕ちた三人だったが。その足掻きっぷりは見届けるに値した。
余談だけど、今回またたくさん中国人名が出てきたので、文中に出てきた時点でその都度メモ帳に名前と読み方を書いておくということをしてみた。『ホワイト・ジャズ』もめちゃくちゃ名前が出てくるのでそのようにしていたことを思い出したからだった。これが覿面に役に立ったし、またそのメモをつけること自体も面白かった。またちょっと人が多そうな小説を読む際にはやってみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?