6/1 『PSYCHO-PASS Sinner of the System 下』を読んだ
本ノベライズ共著者の一人である吉上亮氏はあとがきにて、「狡噛慎也は、自分にとって一種の聖域でした」と述べる。実際それは多くの『PSYCHO-PASS』ファンにとっても同様であると思う。考えてみれば不思議なもので、『PSYCHO-PASS』という作品の本質でもあるシビュラシステム、その真実に触れていない(少なくとも現時点では)にもかかわらず、ここまで狡噛というキャラクターに重きが置かれているのは何故なんだろうと思う。常守朱や槙島聖護もその真実に触れ、それぞれのシステムに対しての回答を示したが、狡噛はそれに触れることもなく、国外へ去ってしまった。また、その立場も監視官→執行官→そして逃亡犯からの流浪人、さらに続く3期では日本に戻るも外務省麾下、と作中でもっとも転々としていて落ち着かない。あるいはそれは世界の方が狡噛に振り回されているということなのかもしれない。
多分、強過ぎるのが原因なのだろう。何にでもなれる。刑事にも、ゲリラの指導者にも、その気になればガルシアのような紛争調停のスペシャリストにだってなることができたろうし、そして今作においては、ひとりの少女の師となったのだった。
ノベライズとしての見どころは、舞台であるチベット・ヒマラヤ同盟王国の描写が豊富だったところか。チベット料理や嗜好品、衣装など細かく描いてくれている。むろん映画でもビジュアルでしっかり描写してくれていたのだろうが、そこはスッと流してしまっていた。それに王国のなりたちなどは文章でないと説明が難しいだろうし、シビュラ無き世界で人々がどのように生きていたのか、その一端が知られて良かった。
1本目の劇場版よりお馴染みとなりつつあった亡霊槙島との会話パートは、地の分でどちらがどちらの台詞なのか分からないまま続いていて、しかし最後に狡噛が言葉にして槙島へ話しかけることで明確に分離され、執着を振り払ったことがわかるのが良い。おそらく、これ以後槙島が現れることは無いんだろう。多分。
狡噛にとってこの旅はいかなるものであったのか。人生を賭けた復讐を遂げ、疲れ切った心身を癒すための旅路(にしては行先がハードすぎるし実際戦地を巡ったことで肉体はよりパワーアップしてるが)だったのか。本文にあるように過去との訣別をしようとして、ただ遠くへ去るだけではそれはできないと気づくためのものだったのか。
あるいは、一種の「家出」のようなものだったのかなとも思った。シビュラと喧嘩別れした男が、旅と出会いを通じて、ふたたびシビュラの下へと戻ってくる。シビュラを肯定しないまでも、シビュラとの停戦には合意してやるとして。その決意をさせたのは、ひとりの少女の停戦交渉にかける思いのおかげだったかもしれない。