9/5 『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』を読んだ
面白かった。
インドに到着してからの仏道修行パート、そして厩戸に性欲が芽生えて堕落していき、しかしそこからの性道修業パートがめちゃめちゃ面白くて、頁をめくる速度もグオッと急加速していっていた。いや、序盤も面白かったけども、仏教VS道教でそれぞれの神を召喚してバトルしてたり。なんだろう、やはり厩戸という個人の内面に差し迫るものだったからなのか、今まで才気と霊的な感性に富んだ超然的な幼子、というのが、性欲に目覚めてから、とたんに共感を呼び込む存在になったからなのか。まあ、そうは言っても道教の名残で底なしの性欲と淫辱に耐えうる精神を備えてたり、一度見聞きしたものは忘れない頭脳があるので、己を重ねるとかではないんだけど。まったく羨ましい。
そうしてとうとう悟りに至った厩戸の「悟り」とは何かって話も、たいへん腑に落ちる。性欲の制御こそ悟りでありブッダが追い求めたことである……ってこれが、果たして仏教界にとってどの程度の知見であるのか、それはわからないけれど。意外とポピュラーな説であったりするのか、それともふざけんな禁書だ禁書、みたいなトンデモなのか。でも結構腑に落ちちゃったんだよな。悟りとは結果に過ぎず、至ったものもその人個人の悟りでしかないので、悟った人のお言葉だけ有難がっても仕方ないし、一人一人が悟りに至ろうとする過程が大事なのである、というのも、とても理解できる。
悟りを得て、はれて厩戸がブッダとなったと知るや、それまでみっちみちに滾らせていた性欲はどこへやら、平伏して弟子にしてくれとせがむムレーサエール侯爵のキャラクターも結構好きだ。
厩戸がブッダになったはいいとして、しかし、聖徳太子としての物語はまだ始まってもいないというのだから驚く。最終巻たる次巻ではいよいよ倭国に戻る筈だが、最後の引きを見るにまだインドでやることは残っていそう。柚蔓や虎杖とも再会できてないし。柚蔓といえば、どうしてインドで男の子たちの夜這いを受けちゃったのか、詳しい説明が結局ないのがまだ気になるのだが……その後の妊娠出産やら、子どもの死とそれをきっかけとする出家などでもう、そこを気にする感じじゃなくなっているし、このままスルーだろうか。まあそこへの期待はほどほどにしつつ、次巻が待ち遠しい。