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8/1 『最強の毒 本草学者の事件帖』を読んだ

本作が発売されるちょっと前に、KADOKAWAがサーバー攻撃を受けて各種関連サイトが軒並みアクセス不能になり、新刊の刊行すらどうなることやら不明ってんで作者がSNSで天を仰いでたので、こりゃ大変そうだなと思って購入。結果的にはKADOKAWAの新刊はちゃんと発売日に書店に並んでいたわけだが、きっと見えないところですさまじき奮闘などがあったんだろう……今もまだ絶賛奮闘中か。
お話の舞台は江戸時代の町人文化寄りの世界で、江戸時代の小説というと最近じゃ『剣樹抄』を読んでいたけど、同じ江戸時代でもだいたい150年くらい違う。慣れたものよととんとん拍子で読み進められるわけもなく、ところどころ言葉の意味を調べながら読んでいった。まったく歴史小説と時代小説の他に江戸小説って区分も新たに設けるべきなんじゃないかと思うほど裾野が広いなこの世界。
それでも江戸っ子喋り……なのかな朝槿のあれは? の軽妙さのおかげもあってか、本草学という馴染み薄い分野にもかかわらず、江戸の世の医学界版京極堂みたいな知識の開陳にもえっちらおっちらついて行けた。若手学者たちがこぞって研究活動する様にはどことなく大学の文化系サークル活動感があり、気楽な雰囲気なのかなと思いきやところどころに江戸の世の息苦しさもしっかり顔を覗かせる。迂闊な発言や奇に寄り過ぎた行動はそれだけで見咎められ、場合が場合なら死にすらつながるのは現代とも通じて、かなたとこなたは地続きなのだなあと思える。さすがにかなたの方が死が近いが。
言動が奇矯なのは探偵役の朝槿だがワトソン役の紺之介も負けじと鬱憤を抱え、気がついたら修羅場になって双方泥に塗れたのち身上語らいなどするのは、作者の本で以前に読んだ『火の中の竜』でも似たような感じになってたから、これはそういう趣味っていうか流儀なのかな。不可思議なトリックを才知と弁舌で華麗に成敗――などさせるものかと、情の泥は犯人にも被害者にもそして探偵にも分け隔てなく降り注ぐしなんならもとから絡みついている。最後の話はミイラの事件だったのにいっそうじっとりしていて、発端の死んだ人間だけが空元気。如何にもならない世への反骨だった紺之介の男装に、如何にもな名目がついてしまったことも果たして良いんだか悪いんだか。気になるから続いてくれると嬉しい。

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