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11/26 『怪傑レディ・フラヌール』を読んだ

3部作ということはあらかじめ予告されてたけど、まさか本当に3作で完結するとは。珍しいこともある。
スマートにまとまったのだからこちらもスマートに感想を書こうと思ったけど、読みながら抱いていた感想は、しかし読んでる間にあらかた本文中で言われてしまった感がある。道足くんの父親ディスもここまでくると果たして額面通り受け取っていいものかどうか、彼が父親を否定すればするほど二代目を襲名した彼自身への自己批判のようにもなってきて、自己批判というかたちをとっているからこそ父を否定できるのか、父の似姿となったからこそ自己批判するのか、自己否定を隠れ蓑にして都合よく立ち回ってやしないか……などということも、結局言われてしまっている。西尾維新作品のなかでもひときわ自己言及的だと言えるだろうか。自己、あるいは家族への言及がひたすら続く。
お話も、序盤はタイトルとあらすじでネタバレしている部分……あるき野ふらのがフラヌールを名乗って自ら収監されたのだ、ということをすごいゆっくり時間をかけて書いていて、読者からするとええいわかってるよそんなことは、白々しくリアクションしやがって、と思うのだけど、ただそれすらも言及されている。言及すりゃいいってもんじゃないけども。怪盗フラヌール収監という事件自体も目の前で起こるんじゃなく、ニュース記事を通して語られるし、物語としてはかなり動きが少ない。いや北海道だったり石川県だったりあっちこっち移動はしているんだけど、冒頭では飛行機が墜落してたりもするんだけど、なのにすごい静穏なんだよな。さながら歩くように物語が進む。語られる。オーディブルだ。
そして、そんなトリックも推理もない、ただ登場人物たちが会って話して考えるだけのおしゃべりが延々続くだけなのに、不思議と話は結末へと収束して、もろもろ辻褄なども合っていった……読んでてびっくりした。1作目のポワレちゃんも、2作目の壁璧ちゃん(あらためてこの名前は名字も含めてどうかと思う、西尾維新だとしても、西尾維新だからこそ)も、考えてみればこのシリーズは親殺しの話しかしてなかったなと、今更気づいた。もしかして、すべて計算ずくだったのか? 語り手である道足くんが行き当たりばっ足くんだからわからなかったけど。だから3部作だったのか。収まるべきものが収まるところに収まって、満足感だけが残った。父親の否定から始まって父親になることで終わるというのもまた、ある意味そのまんまだなというか、それしかない終わり方というか。収まるべきところに収まる、それが返却であるということなら、もはや是非もない。面白かった。

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