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小学生がバスに乗ってきた

私はとあるところからバスに乗っていました。

途中で小学生の男の子1人が「〇〇行きますか?」ってバスの外のマイクから話して、行きますよってことで、乗ってきました。

バスの運転手さんは優しい人で(てか、このバス会社の人全員と言っていいほど親切な人が多い)
「(手すりに)つかまっててね」とか声かけてました。

男の子はなんだかたくましくて、礼儀正しくて、小学生が1人でバスかぁと私は偉いなぁと思っていました。

***

そういえば、地域にもよるけれど、私は小学生の頃、1人でバスに乗ったことがないくて、電車も1人で乗ることはなかった気がします。

だからか、余計に1人で交通機関に乗っている小学生がすごいなぁ、しっかりしてるなぁと思ってしまうのです。

バスは行きを間違うと、反対車線に乗っても、元に戻るとは限らない、という難関な乗り物という印象で、大人になった今でも、お初のバスはドキドキします。
場所とバス停名前が違うなんてのは、当たり前で、自分の意思で乗り込んだクセに、ちゃんと着くかな、どこに連れて行かれるんだろうとか考えてしまう、、ヘタレでございます。。

中学生でも、これは電車だけど、普通電車と快速(電車によっていろんな呼び名があるのも、当時の私には難しかったのです。。)を間違えた記憶が朧げにあります。。
遥か遠くの記憶の引き出しにソーーーッと仕舞われているのをふとソーーーッと少しだけ開けて思い出したのです。

パンドラの箱とは、一つの箱型だけとは限らず、引き出し型になっていて、何段あるのか自分でもわからない説を私は時々思うことがあり、各引き出し毎に“希望”が残っているのかも定かではないので、自分を見つめるとソーーーッとしとく事にするという手もあることを知りました。

***

自分比でよく今まで生きてこられたなぁ、という気も振り返るとちょっと思う時があるんですが、、それをはるかに飛び越えて、小学生で1人でバスですとぉ!と見かけて、敬意すら感じるほどであります。

腐敗した一部の老害の皆さまにおかれましては、1人の少年から学ぶことは大いにある気持ちもいたします故、2025〜2030年問題と人口は減っていっても、若者にはどうか生きて、変わりゆく時代を共に見ていきたいと思う次第です。

そんなこんなを、誰も少年に席を譲ることのなかった疲れ切った大人たちの中で静かに思うのでした。

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