逆転の発想がもたらす新たな観光パラダイム(1/3)
常識を問い直し、可能性を切り拓く
はじめに
観光産業は、かつてない転換期を迎えている。コロナ禍を経て、オーバーツーリズムの課題、デジタル化の加速、そして持続可能性への意識の高まりなど、業界を取り巻く環境は劇的に変化した。しかし、これまでの観光戦略の多くは、依然として従来型の発想―インバウンド数の増加、観光消費額の向上、インスタ映えするスポットの創出―から抜け出せていない。
本稿では、これまでの観光マーケティングの常識を根本から問い直し、むしろ従来のマイナス要素とされてきたものの中に眠る可能性を見出すことを試みる。「不便」を価値に変え、「記録されない体験」を創出し、テクノロジーを駆使してアナログ感を生み出す―。これらは、一見すると矛盾に満ちた取り組みに見えるかもしれない。
しかし、現代社会において人々が本当に求めているものは、もはや従来型の観光体験ではない。そこで本稿では、未来の観光が持つ可能性を、以下の3章構成で具体的に描いていく。
第1章では、既存の価値観を根本から問い直し、デメリットとされてきた要素を新たな魅力として再解釈する方法を探る。続く第2章では、テクノロジーの可能性を従来とは異なる視点で活用し、より深い体験価値を創造するアプローチを提示する。そして第3章では、これらの取り組みを統合し、観光の新たなあり方を確立するビジョンを示す。
これは、単なる理論的な提案ではない。各章では、具体的な実装ステップと、実現可能な時間軸を示している。また、これまでの観光関連の研究や実践で見落とされてきた視点―特に認知科学や行動経済学、さらには文化人類学的な知見―を積極的に取り入れ、新しい可能性を模索している。
第1章:既存価値の再解釈(2024-2025年)
私たちは、観光における「当たり前」を疑い、覆す時期に来ている。従来のインバウンド観光振興や地域活性化の文脈で語られてきた観光戦略は、すでに限界を迎えつつある。そこで注目すべきは、これまで「弱み」とされてきた要素に潜む、予想外の可能性だ。
過疎化が進む山間部の集落。公共交通機関の少なさ。観光インフラの未整備。これらは従来、観光振興における「課題」として捉えられてきた。しかし、現代社会における新たな文脈の中で見直すと、これらの「弱み」は驚くべき可能性を秘めていることが分かる。
たとえば、過疎地域の「何もない」という状況は、都市生活者にとって究極のデジタルデトックス空間となり得るのではないか?スマートフォンの電波が届かないことは、むしろ「デジタルデトックス」を求める現代人のニーズと完璧にマッチする。実際、ヨーロッパではすでに「電波の届かない宿」が premium digital detox retreat として人気を集めている。
交通の不便さも、再解釈の余地がある。「簡単には行けない」という性質は、むしろ観光地としての希少性を高める要素となる。パリのミシュラン星付きレストランが予約の取りにくさを価値として確立しているように、アクセスの困難さは体験の価値を高めるパラドックスを生み出す。
このような逆転の発想は、ソーシャルメディア時代の観光にも新たな可能性をもたらす。「インスタ映え」を追求する従来の観光地づくりとは真逆の、「記録されない体験」の価値化だ。写真撮影を意図的に不可能な状態にし、その場でしか味わえない一期一会の体験として観光を再定義する。これは、現代のオーバーツーリズムやソーシャルメディア疲れに対するアンチテーゼとなる。
実際の導入においては、まず週末限定のパイロットプログラムから始めることが賢明だ。地域住民の理解を得ながら、徐々に規模を拡大していく。重要なのは、従来の観光指標(観光客数、消費額など)だけでなく、新たな価値指標(静寂満足度、デジタルデトックス達成度、地域住民との交流深度など)を設定し、効果を多面的に測定することである。
また、地域住民との関係性も従来とは異なるアプローチが必要となる。観光客を「見世物を見に来る他者」としてではなく、地域の日常に寄り添う「一時的な住民」(関係人口化)として位置づけ直す。これにより、観光客と地域住民の二項対立を超えた、新しい関係性を構築することができる。
この「弱みの武器化」戦略は、必ずしも大規模な初期投資を必要としない。むしろ、既存の資源や状況を新しい文脈で再解釈し、価値化することに主眼を置く。そのため、比較的リスクの低い形で実験を行うことができる。
重要なのは、これらの取り組みを単なる一過性のギミックに終わらせないことだ。そのためには、地域固有の文化や歴史との有機的なつながりを意識しながら、新しい価値を創造していく必要がある。たとえば、古くからの農作業や生活様式を、現代的なマインドフルネス実践として再解釈するなど、伝統と現代のニーズを橋渡しする視点が求められる。(※この文脈はかつてから鴨志田が提唱しているバイオリージョンを取り入れる)
特に注目すべきは、この「弱み」の再解釈が、地域のアイデンティティ強化にもつながる点だ。従来は「遅れている」「不便である」といったネガティブな文脈で語られてきた要素が、むしろその地域ならではの独自の価値として再定義される。これにより、地域住民自身の自己認識も変化し、より積極的な観光まちづくりへの参画が期待できるのではないか。
さらに、このアプローチは環境負荷の低減にも寄与する。大規模な観光施設の建設や、過度なインフラ整備を必要としないため、自然環境への影響を最小限に抑えることができる。また、「不便」や「制限」を前提とした観光は、おのずと受け入れ可能な観光客数の適正化にもつながる。
ただし、このような取り組みを成功させるためには、綿密なマーケティング戦略を欠かすことができない。「不便」や「制限」を価値として受け入れ、むしろそれを求めて訪れる層を的確に見定め、適切なコミュニケーション戦略を立てる必要がある。例えば、「究極の贅沢は何もしないこと」「本当の豊かさは不便の中にある」といった、価値観の転換を促すメッセージング開発も重要となる。
実施にあたっては、段階的なアプローチが有効だ。まずは小規模な試験的プログラムからスタートし、得られた知見を基に徐々に規模を拡大していく。その過程で、地域住民の声を丁寧に拾い上げ、必要に応じて軌道修正を行う。また、先進的な取り組みを行う他地域との情報交換や連携も、成功の鍵となるので、共通プラットフォームが必要となるかもしれない。
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