「介護に正解はない」じゃあ何があるの?
正しいことではなく有効性を重んじる
たしかこの本だったと思うんですけど、「ACTでは正しいことではなく有効性を重んじる」と書いてました、多分。すいませんうろ覚えです。
幸せになりたいと思っているのに幸せになれないどころか不幸にハマっていく人って多いよね、ACTっていう技術を使って幸福の罠から抜け出せば、幸せになるぞって気負わなくてもうまくいくよって内容です。すごく雑な要約ですが、気になる方はぜひ読んでみて下さい。面白かったです。
で、このACTっていいうのは技術であって、世の中の正しさとかで判断せずに役に立つことをしましょうということなんですよ。いくら正しい話をしても苦しんでいる人が改善しなければ何の役にもならないから、苦しみが少しでも軽くなるような役に立つことをしましょうというのが、見出しの内容だと思っています。
正しさを主張する人たち
会社の会議や、会議じゃなくても仕事をしていると「私の言ってることって何か間違ってます?」みたいな言い回しする人がうちの職場でも最近多いです。
大体の場合って「間違ってないけど・・・」って思っちゃうんですよね。
そもそも何の話をしているかが大事で、その人が間違っているかどうかはその主題に関係ないことが多いと思います。
例えば会社の会議だと、会社の利益を出すことや、顧客満足度の向上、今後の発展の話をしますよね。どうやったら売れるか、どうやったらお客さんが喜ぶか、それを話し合っている場で正解不正解なんて話をしても仕方がないし、そもそもどうやったら売れるのかの正解がわかるのであれば、会議なんてせずにそれを実行するべきなんですよ。
じゃあ、何についての正解不正解を問うているかといえば「私は間違ってますか?いいえ私は正しいです」ってことだと思っています。
売上や顧客満足度に関してその人の正しさって何の役に立つのでしょう?もし、本当に売上や満足度にその人が貢献できているのであればそんな事言わないでも結果は出てるでしょうし、誰かが言ってくれています。結果が出てて誰かがあの人のおかげと言っているのであれば言う必要がないんです。
介護に正解はない
介護に正解はないっていう言葉がります。
介護って一つの正解がないから、これだ!と言う正解を言ってあげれないよって新人指導の時に言う言葉だと思ってました。または、利用者さんに対して色んな方法があってこれが正しいって一概にいえないんですよねって言う感じとか。
で介護の話でも何かトラブルが合ったときとか方針を決める時に上記の「何か私間違ってます?」みたいなことを言い出す人がいるんですよね。
この時も結局「いや、間違ってないけど・・・」ってなっちゃうんですよ。ズバッと君は間違っている!って言えば違う展開があるのかもしれませんが、間違っているって言うほどの根拠もないし、その呪文を唱えられたら話がグダグダになる未来しか想像できません。
有用性が大事?
最近思ったのが一番上の「正しさより有効性」なんです。
介護に関しても、こうしなきゃいけない、これが正しいっていくら言ってもその人の役に立たないと意味があるのかと疑問に思います。
正しいからこうしますってのってただただ正しいだけじゃないですか。
いや、もちろんそれなりの根拠もあってその正しさを主張されているとは思うんですけれど、根拠を持って主張した結果が正しいか正しくないかっていうのはどうなの?って思うんですよね、それ以上はないの?って。
正しいのは間違ってないから大事っていうのは理解できます。
その正しさは何を持ってして正しいのかって言うことが重要だと思うんですよ。それが「役に立つ」とするなら、役に立つから正しいわけでしょ?それなら、どれだけ「正しい」かよりどう「役に立つ」かを主張するほうがストレートで伝わりやすいと思います。
例えば、コスト削減なら「コスト削減ならこれが正解」とか言い出したら一気に怪しい情報商材じゃないですか。何にコストが掛かっててこれが過剰だだからこれをこうすることでここのコストが下がりますよって言うことが正解だと思いますが、これは正解とか間違っているとかと表現しないと思うんですよ。
じゃあ介護は?
「介護は目的がある」と教育されてきています。
いろんな言い方はあると思いますが「セルフケアの不足」だったり「ニーズ」だったり。
お風呂に入れなくて困ってるとします。じゃあ、お風呂に入れればいいんですけど「そんなのお風呂なんだから訪問入浴使えばいいじゃないですか、私何か間違ってます?」(実話)みたいに言われても、「間違ってるとは言えないけど・・・」になるんですよね。
入浴が充足できることに加え、本人の状態や環境を考えた時にどういうアプローチが有効に働くかを考える必要があると思います。全部介助が必要なら(正解である)訪問入浴も選択肢に入りますし、デイサービスや訪問介護、訪問看護も様々な手段が考えられます。
介護に正解はあるかって言われると、その人の状態や環境によって異なるのでその時々の状態状況を想定できるのなら正解はあるのかもしれませんが、現実的に考えるのなら「どうなったら(どうすれば)その利用者にとってより良いのか」「どんな役に立てるのか」を考えることが重要と思っているので、
僕の答えとしては「介護は正解ではなく有用性を考える」ではないかと思うんですけど、僕何か間違った事言ってますか?