結果的に僕は嘘つきでした、というお話
昨日の記事を、昨日アップしたことを今日後悔しております。
今日の出来事
今日利用者さんのところを訪問したんです。
先月の訪問の時に「福祉用具の人と一緒に行きます」と言っていたことを忘れていました。
モニタリングを終えて、雑談も終えて、歩行器の使い勝手はどうかと聞いた時に利用者さんから言われました。
「先月一緒に来る言うてたやん。」
誤魔化す僕
「歩行器が使いにくいって言ってた部分はどうですか?」
僕がそれを口にしてたときは何も考えていませんでした。誤魔化すも何も感得ずに、もう誤魔化してたわけです。
その後誤魔化したことを利用者さんに言われ、すみませんでした、と誤った形になります。
誤魔化すことは意識的なのか
実際に誤魔化してしまった僕ですが、昨日の記事の通り嘘つきと思ってもらっても仕方ありません。
で、そんな話は置いておいて
実施に誤魔化した時に感じたことを書きます。
誤魔化したときは無意識でした
指摘されても喋ってる内容は止められなかった
その後訂正する機会を与えられて謝罪できた
というのがその時に感じたことです。
誤魔化しは無意識だった
実際に誤魔化しは無意識でした。正直誤魔化すことすら考えてなかったです。
止められない誤魔化し
途中で指摘された時にやっと自分で誤魔化していることを認識していました。とのとき認識している僕と、誤魔化しながら喋っている僕はまるで別の人間のようになっていて、僕の意識としては誤魔化してしまったという思いと、それを止めなきゃという思いを持っていました。
それとは裏腹に、実際の僕は誤魔化し続けていたわけです。いや、まるでホラーのようでしたよその時は。乗っ取られていると言っても過言ではない状態でした。
機会を与えられて謝罪できた
乗っ取られたことが解除されたのが、実は利用者さんが止めてくれたからなんです。もう一回「先月言うてたやん」って言ってくれて僕の乗っ取りは終了して、僕を僕の意識で動かすことができるようになりました。
この一連の流れを考えると、誤魔化しが稼働してしまうと一定時間コントロール不能になり、その後コントロールが取り戻せるということでした。
逆の立場になってみると
相手が誤魔化しだしたら、一定期間コントロールを失うので、何を行っても無駄になると思います。その後正気を取り戻したときを見計らって言いたいことを言わないと、誤魔化された側は本当に労力の無駄になってしまうと思います。
あふれるコップ理論
そんな理論があるかどうかはわからないのですが「溢れそうなほど水が注がれているコップにいくら水を注いでも水はあふれるだけ」という例え話がありまして、喋りたい人(溢れそうなコップ)にいくら話を遮って反論(水を注ぐ)しても、自分の話したいことが一段落する(コップの水が減らないと)まで、こちらの話は耳に入らない(新たな水は注げない)という内容です。
この誤魔化している僕は「溢れそうなほど水が注がれているコップ=喋りたい人」になっていたとも考えられます。
なのである程度気の済むまで喋らない(誤魔化しの話をする)と次の話(謝罪)に移行できない状態ではないかと思います。
誤魔化している人を見たら
これが正解なのかは疑問も残りますが、誤魔化している人がいたらその時は制御不能な誤魔化しモードに入っていると認識して、聞かなくていいので聞いているふりをする、と。
そして誤魔化しモードが落ち着いてから言いたいことを言うなり聞くなりしたほうが案外ストレスが軽減できるのでは無いかと思います。
そんなことより、今日は嘘をついたことを誤魔化してしまい申し訳ありませんでした、とこの場をお借りして再度謝罪いたします。すみませんでした。