顔描き

新宿方丈記・27「天鵞絨の羽音」

うだるような暑さの夏の昼下がり、誰もいない道を一人歩く。足元に落ちる影は濃く、少し遠くの木立では、蝉がうるさく鳴きたてている。陽射しは暑さを通り越し、半袖の腕に痛いくらいで、それでももう、盛夏を過ぎて終わりに向かう、諦めや切なさを滲ませている。子供の頃は永遠に続くかと思われた長い長い夏休み、もとい夏の日々も、大人になればあっという間。クーラーの効き過ぎた電車やオフィスで徐々に麻痺した季節感のまま、日常に追いかけられて流れるように後に過ぎて行く。だからなのか、ほんの少しでも夏らしい状況の中に放り出されると、容赦なく背中を流れる汗に辟易しながらも、忘れかけていた本来の夏の姿を垣間見た気がして少し嬉しい。

子供の頃、炎天下で麦わら帽子を被り、近くの原っぱや神社の境内でよく遊んだ。木陰に入ると雨のごとく蝉の声が降り注ぎ、足元を蟻が行列をなして通り過ぎる。蟻は働き者であることを証明するがごとく、力尽きた蝉の死骸や、私たち子供がポケットから落としたビスケットの欠片や飴玉に群がり、分解しては運んでいた。狗尾草が茂る原っぱで、突然耳元で唸るような蜂の羽音に驚いたことが何度もある。慌てて立ち上がると、気温も湿度も高い午後の空気の中、蜂も気だるく眠そうに、低い位置をゆらゆらと漂っていた。丸っこいクマバチ。花も咲いていない場所にいることが不思議だった。まるで戦闘機のような羽音を立て、なのに全く戦う意思はなさそうな、アンニュイなその姿は、遊びに夢中になっているるうちに、いつも何処かに消えてしまった。天鵞絨を纏ったような蜂の姿は、夏には暑苦しいような感じがしたことを、いつまでも覚えている。

涼しい室内に入っても、そう簡単に汗は引かない。次から次へと吹き出すひたいの汗を拭いながら、絵の具を並べて一息つく。暑さのあまり、花瓶に生けられたカサブランカの蕾が、見る間に次々と開いていく。むせ返るような花粉の匂いと、凛と咲く背の高い美しい姿。テーブルの上の夏を仰ぎ見ながら、新しい人形に紅をさした。




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