新宿方丈記・47「あの夏のAlone Again」
夕方、コンビニのレジに並んでいる時、聞き覚えのある切ないメロディを耳にした。でも一瞬思い出せなかった。それくらい久しぶりの出会いだったのだ。ギルバート・オサリバンの「Alone Again」。途端に記憶は30年遡る。
時代はまだ、バブルの最後の尻尾くらいだったろうか。貧乏な美大生にバブルなんて全く関係なかったけれど。ただただ汗だくで機材を抱えて、映画を撮っていた頃だ。バイト代を制作費や現像代につぎ込み、名画座で学割で1本でも多く見たい映画を見る。映画と本とレコードにはお金を使っていいという自分ルールが存在した(今と変わらないではないか!)。そんな学生最後の夏、私は卒業制作のために8ミリを回していた(予算の都合上、16ミリは不可能だったので)。原作は、かつてこの新宿方丈記でも紹介した「遠雷」という、原稿用紙10枚ほどの短編。もちろん卒業制作のために書いた。ロケ地は祖母の家。子供の頃、夏休みに遊びに行っていた頃の記憶が原風景だった。床の間と古い柱時計、祖母の部屋の匂い。近くに国鉄(当時)の線路が走り、線路沿いのガードレールに沿って、むせ返るくらいの白粉花と、オレンジ色のカンナが咲き誇っていた。よくその道を歩いて、近くの商店街まで出かけたものだった。
そんなかつての景色が、久しぶりに訪れた祖母の家は現代風に改築され、ガードレールはフェンスになり、商店街はすっかり寂れていた。自分が大きくなったせいで、すべてが小さく、時代に取り残されているように感じたのを覚えている。ただそれでも、線路脇の白粉花は変わらず咲いていたし、カンナは青い空をバックに強烈な色彩を放っていた。それが余計に切なかった。
記憶を頼りに書き上げたその映画の主演は、従姉妹の息子くんにお願いした。演技させるというよりは簡単な指示だけ出して、あとは好きなようにさせて使えそうなところでカメラを回した。映画のラストは、線路脇の道をどこまでもどこまでも歩いていく母娘を長回しワンカットで撮った。そしてそこに流れるのが「Alone Again」だった。まあ自分の性格からして元々素直にハッピーな映画なんて一本も取らなかったし、この卒業制作も幸せな未来を暗示させるような終わりでは決してなかったと思う。それでも、後味の悪い映画ではなかったはずだ。「Alone Again」がそういう曲だからなのかもしれない。今聞き返してみても相当哀しい歌詞だけれど、美しいメロディとモノクロの長回しのカットが、自分でも驚くくらいぴったりはまったのだった。
その後、仕事を除いて映像を作ることはなかったし、多分これからももう、ないだろうな。だからあれが私のラストムービーだったのだ。あの映画も、そして「Alone Again」も、ラストがあれでよかったな、と思えるくらい気に入っているし、またどこかであのメロディを耳にするたび思い出すのだろう。遠い遠い夏の日と、カンナより背が低かった頃の自分を。