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新宿方丈記・18「雨に煙る、雨に滲む」

仕事で遅くなり、疲れ切って家までたどり着き、ポストを開けるとふわっと香ばしい香りが広がった。中には茶色い包み。ああそうか。通販で頼んでいたコーヒー豆が届いていたのだ。いい匂いのする小さな包みを抱きしめて、足早にマンションの階段を上がる。浅くも深くもない、微妙な夜の時間。大して空腹なわけでもなし、風邪気味でビールを開ける気にもならない。ならばと、届いたばかりの豆を挽き、コーヒータイムと相成った。私はコーヒーをほぼ、ブラックで飲む。ほぼ、と言うのは、年に一度くらい、疲れ切って甘いコーヒーが飲みたい時があるのと、止むを得ず微糖の缶コーヒーを飲まざるを得ない状況とか、(自主的に)甘いヴェトナムコーヒーを注文することもあるにはあるからだ。まあしかし、私の言うコーヒーとは、ブラックなのである。今回初めて頼んだお店だったけれど、フルーティで美味しいコーヒーだった。外ははっきりしない天気で、天気予報の通り、遅くには雨が降り出しそうだ。

春が過ぎて夏が来る前の短い季節に、まだ梅雨入りしたわけでもないのに雨が続くことがある。少し肌寒くて戸惑ってしまうけれど、細かい雨が緑濃くなった木々を濡らしているのを見るのが好きだ。雨上がりには排気ガスで汚れた街路樹の緑が、まるで洗われた様に鮮やかに生まれ変わっている。この捉えどころのない時期を経て、さらに梅雨が通り過ぎないと、夏には出会えないのだね。案の定降り出した雨が、静かに窓ガラスを伝う。誰もいない交差点、信号の青が雨に滲む。小糠雨。小雨。霧雨。雨を形容する言葉はどれも美しい。雨に煙る、雨に滲む。赤と青、濡れた舗道。ただそこにある風景。カップの中ですっかり冷めたコーヒーは、微かだけれど南の味がした。





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