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わたしは、わたし以外の誰かとして生きることを諦めた。

ある一定の時期、わたしは自己啓発本を読むことに明け暮れていました。
手に取るものは大抵「自分を変える」「理想の自分になる」というもの。
わたしは当時のわたしに満足していなかったのです。

自分に満足していないことは、悪いことではないと思っています。
そうでなければ、上を目指すことはできないから。
「わたしって最高!これ以上ない素敵な存在!」なんて思っていたら、きっとわたしは前に進むことができないから。

けれど、自分という存在に満足していないと、どんなに仕事で成功しても、どんなに幸せが舞い込んできても、どこか満たされない。
「わたしはもっと変わらなきゃ」と常に考え、上を目指さなければならない気がしてくる。

そうしてわたしは、わたし以外の何者かを目指し、自己啓発本を読み続けました。

当然ながら、世の中に自分のためだけに書かれた本なんてありません。
内容がすべて自分に当てはまっており、それを実践すれば確実にいい方向に向かうなんてものはない。
だからこそたくさん本を読んで、実践して、自分に合う方法をカスタマイズしていく。
わたしももれなくその道を辿り、いろんなことをやってきました。

・毎朝起きたらその日にやりたいことを紙に書く
・なりたい人を毎日イメージする
・日記を書いてその日の自分を振り返る
・やると決めたことは誰かに話すことで決意を固める

上記はほんの一部で、本当にたくさんのことをやってみたと思います。

こうしていろいろ実践していく中で、わたしの中に変化は少しずつ生まれていきました。
時間を大切にしようと思えたり、人との関わり方を見つめ直したり。
小さいけれど確実な変化は、わたしの中で起こっていたと思います。

けれど、もっとも実感したことは、まったく別のことでした。

「“わたし”には変わらない部分がたくさんある」

どんなに本を読んで、どんなに実践しても、わたしがわたしを嫌いな部分がすべて消え去るわけではなくて。
面倒くさがりなところ、ズボラなところ、人付き合いに緊張してしまうところ…
自分の中で嫌だなと思っている部分がすべて変わることはなく、いつまでも“わたし”の一部として残り続けていたのです。

32歳。
もちろんまだまだ子供な部分もあるけれど、それなりに大人をやってきたつもり。
それなりに理想の自分を追いかけてきたつもり。
でも、もう新しいフェーズに踏み出すときがきたのかもしれない。

変わることを諦める。
つまり「わたしを受け入れる」覚悟をするときがきたのかもしれない。

ふと、そう思ったのです。

自分を変えようとすることは、一種の逃げだったような気さえして。
自己嫌悪に陥っても、「わたしは変われる」と思っていれば、向き合わなくて済む。
向き合わずに、ただその嫌な部分を消すことだけを考える。

けれど、結局わたしは変われていなかった。
面倒くさがりでズボラで人付き合いが苦手なわたしは、自己啓発本を読んでいるときも、たしかにそこにいた。
そこにいて、根を張っているのに、わたしは見て見ぬふりをしていたのです。

これは、ただの諦めじゃなくて、前向きな一歩。
わたしはこれから、わたしとして生きていく覚悟に時間を使ってみたい。

そう思ってからは、肩の力がふっと抜けて。
嫌な部分さえ少し、ほんの少しだけれど、愛おしく感じられるようになった気がします。

面倒くさがりなわたしは、受け入れることで対策を打てるようになった。
面倒くさがりな部分は変わらないのだから、面倒だと思う作業は誰かに依頼したり、楽しみに変える工夫をしたり。
面倒だと思わないための考え方をインストールするよりも、ずっと自分らしい方法である気がしています。

これからもわたしは、理想のわたしに近づくことはできても、なることはできない。
だからこそ、自分の一部を少しずつ受け入れることで、わたしらしく生きていきたいと思っています。

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