目に映る世界は答え合わせ

自分の世界を創るって、今観てる世界は、自分がどう在るかを映し出してるよくできた映像なんだよね。
よくできてる過ぎてわかんなくなる時もあるよね。笑

平和な世界に住みたかったら、まずは自分が平和で在ることだなぁと思う。

そんなふうに、外の世界を観たら答え合わせになる。

外の世界を観て、感情が揺れるポイントってみんな違うと思うけど。

私のことを振り返ると、私は不機嫌を表に出す人が嫌いだった!
不機嫌な人とは何人か出会ったけど、忘れた頃にまた出くわすのよね。
私も引かないから不機嫌な人とケンカになるんだ。笑
正してやろうと思うから。←戦ってる最中なんで。

でも氣付いたのは、私が小さい頃から怒りを出さない子だったから、自由に怒りを出してる人が許せなかったんだなーって。
出してはいけない感情なんてないとは言うけど、私は怒りは人にぶつけたらダメと思ってたし、周りを巻き込むなって思ってた。


遡るとそれは、幼少期、私はおばあちゃん子だったんだけど、おばあちゃんはわがままなお嬢だったんだよね。
お母さん(私の母)に文句言ったり、近所のおばあ仲間とケンカしたりしてるところをよく見てて、私は子どもながらになんとか丸く収めようとしてた。
そこは何度も向き合ってきたポイントだけど、なかなか不機嫌な人を許せないでいた。


幼少期のそういうのって何度も何度も癒してるつもりだけど、自我を形成する時期だから、根深いんだろうし、しかも子どもって親のために平気で身体を張って、平気だよ?って装う。
だから、見えにくいってのもあるよね。

こういうのって少なからずみんなあると思う。

持論だけど、地球に生まれた魂みんな、やる気満々の猛者だと思うのよ。
でも、行けるぜー!って飛び込んでみたら実際の地上は思ったよりネガティブ多めだった。
てことじゃない?

だから、重くなっちゃって抜け出すの苦労してる人もいるかと思うけど、幼少期の重めな環境を選んだ自分凄いって誇りに思ったらいいと思う。
だってすごいことだもん。


話は逸れたんだけど、私の苦手な不機嫌撒き散らかす人の話に戻すと、

結果、私が〝不機嫌を出す自由〟を許せたら、私はその人の自由なところに憧れていたんだっていうことが腑に落ちたのさ。

現実でも、その人と私はケンカした仲なんだけど、私が許せてしまったら、その後その人からニコニコで話しかけられて、また遊ぼうね〜♪なんて言われたから、あ、終わったんだなってわかった。


外の世界って、内側が変われば変わる。
おもしろいね。

外の世界にザワっと来たら、自分をせっせと癒すという方向にシフト。
外の世界とケンカしなくても、自分を整えるための材料としてある世界だったんだね。
もっと早く知りたかったけど、それじゃあ体験にならないからこれでいいのか。

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