昭和百年少女:感想文
ムーンライダーズの影響を公言している松永天馬氏だが、最近その影響をとみに感じることが多い。それは内容面ではなくその難解さに於いて。一聴して、意図が汲み取れるというより、聴き手に解釈を問うような幅と詩的な曖昧さを感じさせる。それは単にわたしにとってそうである…という事なのかもしれないが、おおよその意味は伝わりつつも、細かい部分で解釈に迷う事が多い為、一つ一つの言葉を解っているつもりのものも含め自分なりに追ってみた。
唱和…① 一人がまず唱え、続いて他の多くの人たちが同じ言葉を唱えること。この意味だとご唱和=皆で唱える≒流行とも受け取れる。自ら流れを創り出す者としての少女を感じさせる。② 一方の作った詩歌に答えて、他方が詩歌を作ること。こちらの意味では、歌を聴いた者がそれに応えるように歌を生き方に反映させ新たなものを生みだす…という捉え方も出来るのではないか。
モガ…モダンガールの略。1920年代の都会に、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた、当時は先端的な若い女性のこと。
モボ…モダンボーイの略。同上。
斜陽族…太宰治の「斜陽」から生まれた流行語。第二次世界大戦後の農地改革(農地解体)、華族廃止、財閥解体、財産税導入などで没落した上流階級の人々や、当時の社会の一面を表した言葉。
革命戦士…ここでは連合赤軍の革命左派を意識していると思われる。赤軍派の最高指導者・森恒夫(逮捕後に自殺)は、真の「革命戦士」になるためには、一人ひとりのメンバーがお互いを批判し合う中で、自らの“弱さ”や過去と決別しなければならないと主張。革命左派の永田洋子は、赤軍派の女性メンバーが化粧をしていることや指輪をしていることについて「革命戦士としてふさわしくない」などと個人批判を行った。「【口紅塗った】革命戦士」とは所属する集団から総括(反省を促す事だが、赤軍派ではその名のもとにリンチ殺人が行われた)されるような異端の存在を指すとも言えるかもしれない。
焼け跡派…幼少期と少年期を第二次世界大戦中に過ごした世代を表す用語。作家の野坂昭如が用いた焼跡闇市派が語源とされる。「焼け跡世代」と言うと、第二次世界大戦中に幼少期と少年期を防空壕と焼け跡の中で過ごし、飢餓や経済的困窮、戦争の影響に苦しんだ世代のことを指す。
クリスタル族…1980年の第17回文藝賞受賞作品で、1981年に第84回芥川賞の候補になった田中康夫の「なんとなく、クリスタル」に描かれたような、当時のブランド志向でファッショナブルな女子大生をこう呼んだ。
新人類…日本の経済学者である栗本慎一郎が作り出した造語で、1980年代に用いられた。具体的には、1955年から1967年に生まれた世代のことを指す。高度経済成長期と子ども時代が重なり、戦後のモノ不足を知る世代とは異なった価値観を持つとされた。
太陽族…1955年に発表された石原慎太郎の小説「太陽の季節」から生まれた流行語。既成の秩序を無視して、無軌道な行動をする若者たちを指す。
沈まぬ太陽…山崎豊子による三編にわたる長編小説。単独機の事故としては史上最悪の死者を出した御巣鷹山での日本航空123便墜落事故などがモデルとされている。史実に基づいて脚色、再構成されたフィクション社会派作品。タイトルについて作者は「沈まぬ太陽というタイトルにはどんな逆境にあっても、明日を信じて生きる心の中の『沈まぬ太陽』を持ち続けていかねばならないという意味を込めています。それがどんなに難しいことか」とも語っている。
松永さんがリミスタにて「沈む太陽族」の歌詞は「沈まぬ太陽」を意識していると発言。
命短し恋せよ乙女…流行歌「ゴンドラの唄」(1915年、吉井勇作詞、中山晋平作曲)の冒頭のフレーズ。歌詞はアンデルセンの『即興詩人』(森鴎外訳)の一節を基にしている。
白線流し…卒業式当日に卒業生たちが学帽の白線とセーラー服のスカーフを一本に結びつけ川に流す行事。
フジテレビ系列で1996年に放送された連続テレビドラマ『白線流し』によって知名度が上がった。主題歌はスピッツの「空も飛べるはず」←なぜ主題歌を記載したかというと「隠したナイフが似合わない僕を」という歌詞が、昭和百年少女と同じシングルに入っている「普通の恋」の「カッターナイフが必要」という歌詞にもリンクするような青春の気分に感じたので。「スカート革命」に「とべる とべる YOU CAN FLY」という歌詞もあるけれど、エヴァンゲリオン1995年、まごころを君に1997年…と、松永さん思春期真っ只中の頃のドラマなのである程度影響を受けた可能性はある。
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様々な時代の流行や世代を表す言葉を織り込んだこの歌詞だが、相反するとまではいかなくとも対比し多様な価値観を感じさせるような言葉が列記されている。
モガ・モボ(際立った存在)↔モブ(群衆、その他大勢)
ジーンズ(カジュアル)↔大和撫子(淑やか)
インフルエンサー(景気良)↔斜陽族(不景気)
口紅(個の彩り)↔革命戦士(集団への奉仕)
焼け跡派(貧困)↔クリスタル族(富裕)
太陽の季節(倫理観の欠如)↔斜陽(道徳への革命)
相反する価値を身の内に持つこと、
価値観や道徳は時代によって変遷してゆくこと、
一度死んだ価値観もまた時代の移り変わりと共に蘇る事を示唆しているのではないか。
革命とは、それまでの常識や価値観を覆すことであり「斜陽」で道徳に対する革命(不倫の子を宿す事)を起こしたかず子は、子供とともに「古い道徳とどこまでも争い、【太陽】のように生きる」ことを宣言している。一方の【太陽】の季節では、端から道徳など存在しないかのような無軌道な若者の一瞬の悔恨を描いている。時代を経る中で、価値観・倫理観は変化してゆく。「今」の価値観に囚われる事のない内心の自由、困難さと共にそれを体現してゆく少女のように無軌道で熱を帯びた生き方を提示しているように感じた。
「しだれ桜廃れても」桜ではなく「しだれ」桜というのは、その姿から老嬢つまり百年を経た少女を想起させる。リミスタでの「百年は案外短いのかもしれない」という松永さんの言葉や「皆皆皆皆少女です!」もあり、些細な年齢差を気にすることなかれ、誇りを持って成したいことを成せ、という加齢を続ける乙女たちへのエールなのかもしれない。
「夢見る乙女の白線流し百年続け」白線流しは卒業時の行事だが、サンプラザ公演での一つの「業(ごう)」を終え新たなステージを歩んだように、何度も業から解き放たれるという意味もあれば、ドラマ「白線流し」の物語の内容になぞらえて、その時の想いを抱き続け繰り返し想いを新たにする事のようにも感じる。
「百年前から好きでした」既にあったものリバイバル、歴史は繰り返す。百年前の価値観や革命に恋をするということでもあり、奥深くに秘められ百年浮かび上がる事の許されなかった感情のようにも思える。
「百年経ったら出ておいで」とは、素直に受け取ると、一旦廃れてもリバイバルしてまた後の世で脚光を浴びる…という意味だと思う。少し捻くれて捉えるならば、松永さんはファンからの手紙から作品の着想を得ていると公言されているので、昭和の文豪のゴシップと作品の関係が現代のTwitter上でも話題になるように、百年後にはそのあらましが明るみに「出て」くるかもしれない…なんて思ったり。自分は手紙となると通り一遍の社交辞令しか書けない人間なのでほぼ書かないのでわかんないけど、そうなら面白いなー。長生きしなきゃ!「化けて出る=幽霊」などという解釈も出来るかな。幽霊に関しては松永さんも自身の事だったり過去だったり東京だったりと折々に呟かれてるのだが、今作では人と幽霊の間をたゆたっているようにもみえる。
どうしても推測の域を出ない「思った」「感じた」等の歯切れの悪い言葉にならざるを得ないのだが、正解の半分は作者に、もう半分はそれぞれの心にあるものだと信じているので繰り返し聴く事で私なりの答案を見つけていきたい。