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夢って叶うんだ、と思うこと自体が夢みたいだった。

関西に住みたい。
一人暮らしをしたい。
そんな子どもっぽい願いで大失敗した新卒就活。
いわゆるフリーター時期に自分に向き合いまくった結果見つけた「自分が本当にやりたいこと」のために、地元で働き始めたわたしは、その8か月後には社会人と学生の二足のわらじを履いていた。
「自分が本当にやりたいこと」は「ドレスを作ること」だったのである。

幼い頃からお姫さまが大好きで、ドレスを着た女の子の絵ばかり描いていた。
キラキラでフワフワでぶりっぶりに可愛いものが大好きだったけれど、母はシンプルなものが好きだった。(余談だが、幼少期のビデオを見ると、どの洋服も髪型も可愛くて、母のセンスの良さを感じる。)
そもそも、そういったぶりっぶりな可愛さが似合わないということもあり、何となくお姫さまを夢見る気持ちは封印していたが、大学時代に宝塚歌劇にはまり再熱。
好きなものは好きだと認め、楽しんでもいいのではないかという気持ちになった。

多分、生まれながらにしてドレス好きのDNAが突然変異で組み込まれているのであろう。
思い返せば異常なほどに好きだったドレス。
仕事というフィルターを一度外してフリーター時代に考えた「わたしの本当に好きなものってなんだろう」という問いの答えはやっぱり「ドレス」だった。

では、ドレスを仕事にする術はないのだろうか。
「衣装」が好きだったわたしは、舞台衣装や婚礼衣装を思い浮かべた。
よし、何はともあれ、ドレスを作れるようにならなくては。
今から昼間部に通うにはお金も時間もない(と当時は思っていたのだ)。
だったら夜間部に行こうということで、行きたかった専門学校の夜間部に通える仕事を選んだわけである。

入学してわりと早々に気が付いたのは、洋服作りのセンスがまるでないことだった。
アクセサリー作りや工作(よくご贔屓に手の込んだ「お手紙」を作っていた)など、ものづくりが好きだったこともあり、きっと上手にできると思っていたが、どうやら両手のひらに収まる以上のサイズのものは上手に作れないらしい。
そんな絶望的なことに気が付いた一方で、マーケティングの授業でその面白さにも気が付いた。
漠然と「わたしこっちの方が向いているのかも」と思いつつ、仲良し3人組で黒板に貼られた求人を見ながら過ごしていたある日、一人が「あなたは絶対に接客向きだよね」と言った。
わたしもそう思う。
数多経験したアルバイトも、接客が一番楽しかった。
そしてふと思ったのだ。
「ドレスと接客、好きなものを両方手に入れられる仕事ってないのかな」

もう、これはわたしの人生における大革命である。
ドレスと接客=ドレスコーディネーターという公式を導き出すのにそう時間はかからなかった。
そして、ドレスコーディネーターという仕事を見つけてからという物、北は北海道から南は九州まで、ありとあらゆるドレス屋さんの求人へ応募した。
求人サイトを見たのは最初だけで、あとはドレス屋さんそのものを探し、企業HPからダイレクト応募した。
毎日毎日落ち続けたけれど、不思議と落ち込まなかったし、絶対ドレスコーディネーターになれるという自信もあった。
経験もないのに。

面接に行けたのは2社あったのだろうか。
ある日、大阪のドレス屋さんから面接の連絡をもらった。
飛行機で2時間半ほどの距離、迷わず受けに行った。
店内に入ると所狭しと並ぶドレス、キラキラ輝くシャンデリア、まさに夢の空間である。
案内してくれた女性は小柄ながらとても優雅で上品で、その空間にぴったりの女性だった。
うきうきしながら案内されたのは、会議室のような空間。
ちゃきちゃきの関西弁を話す女性店長に内心びびりながらも、面接は穏やかに進んだ。
内容は全く覚えていないが、最後に店長は「あなたの笑顔、最高よ。とても良い印象を持ったわ」と言ってくれた。

数日後、大阪のドレス屋さんに内定をもらった。
自分の部屋で、ピンクの携帯電話にかかってきた電話でそれを告げられたとき、夢かと思った。
同時に、関西に住むことも、一人暮らしをすることも叶うことになる。
夢って叶うんだ、と感動した。
そして、夢って叶うんだ、と思っていること自体が夢のようだった。
あの時の感動は今も忘れられないし、4回転職しているけれど、あの時以上に感動した内定はない。
関西に住むこと、一人暮らしをすることはおまけである。
あんなに憧れたドレスコーディネーターになれるんだと思うと、うれしくて仕方なかった。

実際、大変なことも山ほどあったけれど、ドレスコーディネーターとして過ごした2年半弱は、わたしの人生の中で一番色濃い時間と言っても過言ではないくらいすてきな時間だった。
数えきれない爆笑エピソードとともに、今後少しずつ綴りたいと思う。
そのときには、面接のときに案内してくれた美しい女性が衣装部のマネージャーだったということ、そして生粋の大阪府民で笑に命をかけている人だということも忘れずに書こう。

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