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心配しないでお母さん

この間、母に電話で泣かれた。
私のせいで母が泣いたことなんて今までの人生でほぼなかったのに。いや、私の知らないところで泣いていたのかもしれないが、少なくとも私の前で泣いたことはほとんどなかった。4年前にガンを患って、命がどうなるかわからない治療期間、手術、抗がん剤治療を経て、現在は普通の生活に戻れているのだが、母は泣くようになった。以前は感情を抑え込んで泣かないようにしてきたのだとすれば、それは母にとってむしろいいことなのかもしれないが。

病気の前、母は文字通り病気知らずの人だった。風邪以外に病気をしたことがない、寝込んだりすることも一度もなかった。若いころから山登りやハイキングが好きで、子育てが終わった50代後半からはどこにも出かけたがらない出不精の父を待っているのを諦めて一人でハイキングサークルに入会し、月に2度くらいのペースで日帰りの山登りに出かけるのが楽しみだった。21歳で結婚、22歳で出産と若いころから家庭生活を優先してきて旅行などできなかった母は、それを取り戻す以上の勢いで子育てに区切りのついた友人たちと世界のいろいろな国へツアーで出かけて行った。普段の生活でも運動のために天気の良い日にはパートの職場にも1時間くらいかけてウォーキングで行ったり、とにかく体力には自信があった。

それが病気を経て、本人はまた以前と同じくらいの体重に戻して体力もつけてと思っていたようなのだが、想像したように元通りには戻らない。脚力も年齢的な衰えもあいまってか、以前のようには戻らないと実感しているらしい。ちょっと無理すると急に発熱することも多くなった。そうなると体調が戻るまで部屋にこもってひたすらじっと横になり回復を待つしかない。そんな感じで以前あった健康と体力に対する絶対的自信が今の母にはなくなってしまった。それも自身の状態を過信しないという意味では良かったりもするが。そんな感じで母は泣くようにもなったし、弱気なことを言うようにもなった。

去年の夏、家族そろって一時帰国したとき、私は3年ぶり、子供たちは5年ぶり、夫は8年ぶりの日本の家族との再会だった。病気をしたときに先がどうなるかわからないと身の回りの整理をした母は、もうこの次に私たち家族が4人揃って帰国するのがいつになるかわからない。そのとき自分が元気でまた会えるのかわからないから。そういって、夫、私、子供たちそれぞれに封筒に包んだ現金を差し出した。私は意味の分からないお金を差し出す母に自分がいついなくなるかわからないからというお別れみたいな意図があるのなら受け取りたくないと思い、要らないと言ったのだが、母は聞かなかった。

母が泣いた理由は、母からのLINEメッセージがいつまでも既読にならず、私に何かあったのではないかと母がパニックになりながら3日間過ごしたということ。何故母のメッセージに気づかなかったのかというと、去年から買い替えようと思っていたiPhoneのバッテリーがいよいよダメになり、充電してもすぐ消耗してしまうため新しいiPhoneに乗り換えた。すべてのアプリは問題なく新しい端末に移行されたので安心していたのだが、SNSのアカウントからはすべてログアウトされてしまったらしい。毎日開くフェイスブックやインスタグラムはすぐにログインし直したのだが、日本の家族とのやりとりにしか使っていないLINEはログアウトされたまま気づかずにいた。アプリのアイコンにお知らせの赤いマークがつかないのでLINEアプリを開くこともなかった。連絡が付かずに心配になった母は私の二人の姉に事情を説明し助けを求めたのだが、姉たちとの普段のコミュニケーション手段もLINEのためログアウトされている私は気が付かない。一番上の姉はインスタグラムをやっているので、そこから私にメッセージを送ってきた。それで姉から「お母さんがモコちゃんと連絡がつかないと心配してるけど、連絡してあげて」とメッセージが届いているのを見て、どうしたんだろうとLINEアプリを開けようとして、初めてログアウトされていることに気付いたのだった。

3日間も既読がつかず、連絡もないため私が倒れているのかと母のほうが心配で倒れそうだったらしい。夜も眠れないし血圧は上がっちゃうしとさんざん文句を言われた。これまで20年アメリカ生活してきて母から連絡があったのなんて片手で数えられるくらいしかない。私の方は月1くらいのペースでLINEでビデオ電話で連絡するようにはしてきた。それに、その前の週に母とはLINEで話したばかりだった。その時は私が秋ごろに一人で1週間ほど里帰りする予定なので、家族で近場の温泉に行きたいねと話していた。ぼんやりと熱海あたりがいいかなと話していたのだが、そのあとに母が伊豆に行ってみたいところがいくつかあり、ちょうどいいツアーが見つかったからそれで申し込んでいいか?とメッセージを送ってくれていたのだった。

母はどんなに心配したかとまくし立てたが、一方で私の方は不思議なもので母がLINEの向こう側で一生懸命どんなに心配して大変だったのかと必死に訴えれば訴えるほど反発したくなる(笑)。私が悪いのかと。そもそも心配してもらっても全然気分が良くない。嬉しくない。心配って何?
母は文句を言いながら泣いたが同じ分だけ私もむきになって反論した。「心配したってなにも良くならないじゃない」「心配してもしなくても状況なんて変わらないんだから」そんなことを母と同じ熱量で言い返した。

こんなことを言った私に母は心配して損したと思っただろうか。
それから「心配」ということについていろいろ考えてみたのだが、心配されて嬉しい場合があるのか考えてみたが、なかなか思いつかない。母が「あなたのことを毎日考えてるよ」と言ってくれたら素直に嬉しい。でも、母が「あなたのことを毎日心配してるよ」って言われたら「は?!」と思う。心配ってなんだろう?「私はあなたのことが心配で気が気ではありません。だから気をつけてください。」と言われて気持ちが良い人はいるのだろうか?「私はあなたのことを毎日大切に思っていますので、気をつけてくださいね。」ならわかるのだが。

母が私を心配してくれるのは私を愛してくれているからなのはわかっている。わかっているが何か違う気もする。私も何かについて心配することは時々ある。心配とか不安とか。ただ、普通心配したよと言われるとこちらはすみませんと言わなければならない。となると心配したよというのは相手を謝らせるために使う言葉になる。だから心配と言うのは相手を気遣っているようで気遣っていない。相手ではなく自分を気遣ってほしいと言っているように思える。私が素直に母に「ごめんね」と言えなかったのはそのせいなのかな。ごめんね、お母さん。(本人には言わない(笑))。

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