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顔を上げて目を合わせられない私へ

子供の頃から顔を上げて真っ直ぐに人の目を見れない自分がいる。自分に自信がないからなんだと思うけど、そんな自分に余計に自信が持てない。

なんとも思わないで、当たり前のように人の目を真っ直ぐに見れる人が羨ましい。そんな自分から、堂々と真っ直ぐに人の顔を見れる自分に変わりたいという思いが、ずっと心の中にある。


小学生4年生くらいからだろうか、人に見られている視線が気になり出したのは。見られている気がすると、そちらの方向に視線を向けることができない。もしその人が本当に自分を見ていたら目が合ってしまうから。だから視線を感じても、気づかない振りをして無視する。

中学生の頃は、朝の通学中に車のたくさん走るバス通り沿いを歩くのに、列をなす車の運転者たちが自分のことを見ている気がした。バスが通り過ぎようものなら、乗客が全員自分を眺めている気さえする(笑)。ジロジロと見つめたら誰かと目が合ってしまうから、車やバスを直視することができない。それでいつも視線を車の流れには向けないよう歩いていた気がする。自意識過剰な時期だったのかもしれないけど、今でもあまり変わっていない。

高校生になると、バスケ部に入り、毎日練習に明け暮れた。けれど、プレーしていても、周りに見ている人がいると思うと、人の目に自分がどんなふうに映っているか気になって仕方がない。恥ずかしい思いをしたくない。そんな気持ちが大きすぎて、失敗したり、上手にプレー出来ないことが恥ずかしくて仕方ない。脇目も振らず、良いプレーをすることに集中出来たことはほぼない。

就職して社会人になったときに、職場のお局様に「モコの水遊びさんは人の目を見て話さないのが嫌い」と言われているとか言われていないとかそんな噂が耳に入ってきた。もちろん悪気は無いし、そういう風に思われているのもちょっとショックだった。それで気分を害する人がいるのはマズイと思い、それをきっかけに、話をする相手の目を見ようと意識的に努力をした。

それから、人と話をするときにはかなり意識的に気をつけるようになり、話している相手の目は見れるようになった。目だけをじっと見つめ続けるのも不自然かと思ったり、あれこれ考えたりして、目を見たり、相手の額だったり、顎らへんを見つめたりするようになった。

ここ数年では、スーパーに買い物に行く時など、混み合っている店内で、周りの買い物客と目を合わさないように、常に商品棚や探している商品列に視線を集中させて、人を真っ直ぐに見ないようにしている自分のクセに気がついた。時々、お店全体を見渡すように顔を上げて、視野を広げてみると、普段の自分が、いかに小さな視界の中に自分を閉じ込めているかわかって、新鮮な気持ちになる。

趣味のウォーキングやジョギングに行くと、湖の周りのコースを皆、時計回りか反対回りで歩いたりしているわけで、どうしてもたくさんの人とすれ違うことになる。そんなときも、挨拶とか、目を合わせて会釈くらいするものなのか、それとも全員全く無視で良いのか、良い大人(40代)になってそんな事を気にしている自分がいて、いつまで経っても自信がつかない。

そんな自分に、少しずつでも顔を上げて、人と目が合ってもオドオドしないでいられるようになって欲しいと思っている。

目が合ったところで、自分にやましいことがなければオドオドする必要はない。それに、相手に自分がどう映るのか、そんなことはもう気にしなくて良いんだよ。相手にどう思われたところで、知らない人間なんだし、もう2度と会うこともないんだし。

それよりも、相手と目が合ったときに、動揺するクセがある自分に「大丈夫だよ!」と言ってあげよう。相手の視線や顔色ではなく、自分の顔色を伺おう。他人ではなく自分の心の状態を気にかけよう。今日の気持ちの健やかさのゲージはどんなもんだろう?目が合った相手の気持ちなど分かるわけない。でも自分の心の反応は自分なら分かる。だから自分の気持ちに目を向けよう。

大丈夫だよ。そういって自分の反応をそのまま受け入れよう。それが今の自分なのだから。大丈夫だよ。私がついているよ。

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