放課後の夕陽 #エッセイ
そこはかとない不平や不満を抱きながら毎日泳いでいて、いつの日か彼岸にたどり着くのだろう。
それだけの人生は嫌だと思うけれども、それから逃れるために自分ができることは目の前のことしかなく、そしてその目の前というものも、自分の目に見えているものしか扱うことができないので、きっと他の人から見たら 何も意味のないことを私はやっているのかもしれない。
それでも、何かやることは全く意味がないと言い切れるわけもなく、何かやることでせめて自己満足だけでも手に入れようとあがくことは、笑わなくてもよいことなのだろう。
高校時代にたむろしていた、放課後の部室を思い出す。ベランダに落ちた夕日は今灯っている光と同じだけれども、隣にいた人も空気も、私の歪められた記憶を中にしか存在していない。
それでも思い出した時の心の温もりや、優しい声は存在していて、そのようなものは捨てさりたくはない。
彼岸にも陽は射しているのだろうか。私が行くころには誰かがもういるのだろうか。その時私は笑うことができるだろうか。
そんなことを考えながら生きてしまうときもある。とりあえず、目の前を生きる。