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「ナナメの夕暮れ」

最近、オードリー若林さんの
「ナナメの夕暮れ」を読んでいます。


自分で文章を書こうと思うようになってから、
一番言葉を近くに感じられるエッセイも読むようになりました。

「ナナメの夕暮れ」はかなり前に話題になっていた本ですが、今更になって読もうと思ったのはまえがきの言葉がきっかけです。

僕はずっと毎日を楽しんで生きるより人に憧れてきた。
ずっと周りの目を気にしないで自分を貫ける人に憧れてきた。
それは一番身近な相方であったり、テレビで共演する明るくて前向きで失敗を引きずらず、頭が良くて劣等感を感じさせない人だったりした。
なんとか死ぬまでに、そう言う人間になりたいと願ってきた。
だけど、結論から言うとそう言う人間になることを諦めた。
諦めたし。飽きた。
それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことを手繰り寄せた。

「ナナメの夕暮れ」若林正恭,まえがきより一部抜粋


諦めるとは


私はまだこの感覚がわかりません。

ずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れ、そういう人間になりたいと思うことを諦めるとはどういうことなのか。
なぜ諦めるという選択ができたのか。

分からなくて、この本に答えを探しました。


"執着しすぎることで得られる幸せの総和を苦しみの総和が大幅に上回るのなら向き合い方を変えた方がいい"

ちょうど同時期に、なんとなく眺めていたXのタイムラインでこんなポストを発見。


何か繋がる気がして、流し見していた割にこの言葉だけはメモに残していました。



人生は辛く苦しいものであるという大前提の中でも、善く生きたと思える人生にするにはどうしたらいいか

何が自分を満たすのか



もしもこの憧れを諦めることで一時的な”楽”ではない幸福を手にできるのだとしたら?



若林さんが諦めることで得た、
「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ことを覗いてみようと思っています。

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