心臓に花

第一章
孤独 (Solitude)

「生きろ。」と誰が言ったのだろう。それは、自分にとって特別な言葉だった気がする。
「森下、おはよ。」
あの瞬間、僕の中で何かが解き放たれた。最後に笑ったのは、その表現が自分の中で一番美しかったからだろう。おかしくなったわけでも、開き直ったわけでもなく、ただ全てを尽くした感覚が自分を包み込んだ。
「わたしはこの世界には…居ないからさ。」そんな時には、振り絞った言葉は届かず、まるで嘘のように、美しく広がっていく。それに対して、僕は美しさを追い求めて答えを出した。
「ねぇ? それより。貴女は、美しいとは、思う?」

「モリシタ。」と凡庸な苗字を呼ぶのは同じ美大のpixivや、SNSで絵を載せることを日常的にに使いこなす。よくいる美大生って感じの、佐藤と呼ばれる男。
「心中と言えば、最近ネットで『心中少女』って絵を見たんだ。あれに妙に惹かれたのは事実だよ。その翌日には話題になってて、美大でも噂になった。作者はイジマって名前だけど、正体は不明なんだよな。俺、思わずその絵を携帯に保存しちゃったんだ。」
電車がカタカタ動く。
「その絵を模写しようと試みたんだけど……不可能に近かった。美大生の俺でも、あの作品は難解すぎる。それでも何とか模写して、完成したものに『心中少女re』ってだけ書いて、イジマに返信したんだよ。」
「どんな絵。」
「お前まだ見ていないの、凄い話題だけどね。」
ほら、と佐藤はスマホの画面を向けた。

目がゆっくりと開いた。心が解けそうだった。最初の頃に見た時と同じくらい。
「それで、大学に着くまでに携帯を見たら、SNSの通知欄にイジマの名前があってさ。イジマ、俺の模写を引用して評価してくれてたんだ。その引用が数百万も観覧されて、あっという間にインターネットで話題になったんだよ。俺のアカウント名は摂取零°で、トレンドにはイジマの名前が並んでてさ、天才絵師だとか、心中少女とか、17歳の女性とか、イジマの正体が少しずつ明らかになってきた。」

「ふーん…そうなんだ。」と「僕」は俯瞰して言った。

@W_speak昨日描いてみたけど、やっぱり難しかった。「心中少女」これが自分なりの解釈かな。[@Izima]

画像送付:模写した「心中少女」

@Izima
すごい。君の描き方、面白いね。模写だけど、君の色が入ってる。色彩。

引用ツイート@摂取零°の模写画像
観覧数:150,000

@W_speak
正直、あの構図は難しすぎて全部理解しきれなかったけど、自分なりに表現してみたんだ。
@Izima
理解できないって言うのは、正しいかもしれない。あれは「理解されないこと」をテーマにして描いたから。君みたいなアーティストが自分の解釈で再現してくれるのは嬉しい。


「@摂取零°って誰。」
“どこか自分には届かない部分があって、もどかしいけど、その不完全さが美しいと思った“
@Izima
「心中少女」は一部でもあるけど、君の描いた「心中少女re」も君の一部だと思う。模倣から何か新しいものが生まれることを期待してる。
摂取零°は「美大生。」みたいだね。お互いにいい刺激を与えられる存在になれたらいいな。
@w_speak続けて描いていこう。また新しい作品ができたら見せて。



@izima
もちろん!次の作品が完成したら。

摂氏零度 観覧数:1,500,000

「そっか。この垢の人、伸びてるんだね。」
「凡才なのか、天才なのか。紙一重なのかも、解らないって、感じの絵だと思った。」

その人物が佐藤だと、僕は現実で知った。

「美大生でもないのに、あんな絵が描ける人がいるなんて、驚きだよな……目で追っちゃうのは自然な感覚だったよ。」

「ねぇ、佐藤。そのアカウント名ってさ。」
「摂氏零度?」
「それ、特徴的だね。」
「いかにもって感じでしょ。美大的な名前。図書館戦争の逆。」
「本を読めなくなる世界の逆か、成程。」
「俺たちの、通う。美大には価値がある。伴って、こういうやつを、潰す役割もある。才能っていうの、世の中の凡人が勘違いするのは、危険だからね。」

佐藤の言葉に少し驚いた、この絵は、そんなんじゃない。僕はそれをはぐらかす様に話題を変える。
「オッペンハイマー、観た?」
「未だ。話題だよね。でも、話題なだけでさ、大した映画じゃないよ。」
「どうして?」
「小難しいだけでさ、面白くなさそう。美大生なら、爆弾とか、創造物として、捉えるかも知れないけどさ。」
気まずくなった。倫理的な佐藤に聞いてみることにした。
「唐突にこんなこと言うのおかしいけど、昔、遠い昔に、孤独を癒せるのかって、誰かに問われたことがあったんだよ。『御前に、あの人間の孤独を癒せるのか』って意味だと思うその言葉を発した人はもうこの世にはいないけど、当時の自分には、すごく鮮烈に残ったんだ。自分には、そんな力は無いのにさ……どうして、その人はそんなことを言ったんだろうかね。」
「…なにそれ、知らんけど。」と佐藤は発した。

思い出すんだよ、鮮明な赤色を。ヴィヴィッドな少女の姿が、思い出すんだよ、赤色を。ヴィヴィッドな少女の腕の切り口を。

「……心中少女。」
「なんか言った?」佐藤は喋る
「なんでもないよ。」と笑った。

今、朝の忙しい電車に乗る十九歳の僕は、大学に向かいながら思考を巡らせる。芸術大学には色々な人がいる。自分よりも才能に溢れた人たちがいくらでもいる。自分には無い視点や、自分には描けない作品に囲まれた環境で、それが普通だと思い込んでいる。最近の考えを整理しながら、どうして自分は他者との間に隔たりを感じるのか、考え続けている。
@izima148
_御前が感じている孤独は、それは、他人に見られない自分の作品の価値、他者に伝わらない表現、何かを創造しても誰も気に留めない感覚だ。孤独とは、他者から切り離された自分を意味し、野原の中で一輪の花のように、ただ孤立し続けることを象徴している。誰にも理解されず、誰の目にも触れない。それでも、その孤独の中で自分を探し続けると「云うの?」とイジマが喋った。
「孤独を癒せるのか」と問われたことがあった。その問いを投げかけた。その言葉は強く刻まれたが、僕にはその孤独を癒す力は無い。彼女の言葉の意味も、僕には理解できなかった。

「御前に孤独は癒せるのか、ね。難しいよね。」
諦めたら生きていけないとは思う?
だからこそ、「生きろ」と言われた時、その言葉にしがみつくしかなかったのかもしれない。僕が諦めたら、何も残らない。最初から僕の居場所なんてここにしかないのだから。

@_izima148「儚さの中には、無常が潜んでいる。それは、誰にでも、言えることだ。どれだけ創造に没頭しても、その作品はいつか消え去る。この絵の存在自体も、いつかは薄れていく。それでも、その短い時間の中で、何かを生み出すこと、何かを残すことに意味を見出そうとするの。」

「森下、病んでない?」
「なにが。」
「こいつの絵に、嫉妬してる。」
「そんなんじゃなくて。」

枯れる、という感覚は静かに、しかし確実に僕を蝕んでいる。何かを創り出し、形にしていく中で、いつも感じるのは、自分の内側から徐々に何かが失われていくということだ。言葉も、思考も、創造の力も、少しずつ色褪せ、しおれていく。初めは新鮮で生き生きとしていた感情やアイデアが、時間の経過と共に枯れ果て、命を失ったように見える。まるで、輝いていた花がゆっくりとその色を失い、土に還っていくようなものだ。

振り返ってみれば、僕が描くものも、言葉も、どこかでその命を尽き果て、消えていく運命を背負っているように思う。僕の心から生まれた創作物は、他者に届かないまま、いつしか朽ち果てる。それでも僕は、創らずにはいられない。美しさを追い求めて何度も形にしようとするが、その度に、何かが終わりを迎える感覚がついてくる。

それはまるで、生命そのものが終焉に向かうかのようだ。花が枯れるとき、ただ自然にその役目を終える。それと同じように、僕の内面にあるものもまた、いつかは役目を終えるのだろう。何かを生み出し、それが消え去るまでの時間の中で、僕は次第に自分の存在が希薄になっていくのを感じる。

だが、枯れることはただの終わりではない。枯れることによって、次の何かが始まるための準備をしているのかもしれない。土に還ることで、新しい命が生まれ、また新たな何かが生きる場所を得る。それと同じように、僕の創作もまた、何か別のものに引き継がれていくのだろうか。

枯れるというのは、決して悲劇ではない。ただ、命が循環する一部に過ぎないのかもしれない。僕の中で何かが終わる度に、そこから何か新しいものが生まれる。それが美しさなのか、虚しさなのかは分からないが、僕はそれでもその循環の中にいることを感じる。枯れていくことで、僕は次の自分を探し続けるしかないのだ。

彼女は、「孤独」が美しさを損なう一つの概念だと言ったからだ。しかし、その言葉通りに生きた人だった。彼女の言葉や絵が今でも僕はその影響から逃れることができない。
そんな気がした。


寂寞――って言葉、知ってる?何もない空っぽの場所、荒涼とした風景の中で感じる虚無感を表す言葉だ。

@_izima
「周囲にはたくさんの人がいて、それぞれが自分の道を進んでいるはずなのに、その中で一人きりだと感じることはさ、あるよ。世界の中で、自分がどこに向かっているのかが分からなくなる。どれだけ作品を作り続けても、その結果は空虚で、

@W_speakそこに待っているのはいつも同じ――寂寞という感情だ。

寂寞は、何かを失った後に訪れるものだと考えていた。
@_izima148
「気持ちわかるよ、しかし、実際には何も失わないまま、それが訪れることもあるんだよ?まるで、何も手に入れていないのに、全てを失ってしまったかのような感覚に襲われる、あるいは、手に入れたような感覚。作品を作っても、それが誰にも評価されず、誰にも届かないと感じた時、その感覚はより一層強くなる。」とイジマは続けた。
この寂寞の中には、ある種の静寂があるから、生きてけるんだ。それは、他のものに邪魔されることなく、自分自身と向き合うための場所でもあるから、落ち着けるんだ。誰にも見られない空間で、僕は自分の内側にあるものを探し続ける。寂寞の中にしか見つけられないものがあるのかもしれない。そこには孤独があり、空虚さがあるが、その中で何かが生まれる可能性も捨てきれないし、虚しさだけではない。寂寞や孤独、枯れゆくものに囲まれた中でも、どこかに微すかな光があるのを感じる。それは、他者には見えないかもしれないが、僕にだけは感じ取れる、目に見えるほど強い光ではないが、暗闇に飲み込まれそうになる時に、ふとその存在を感じることができる、微光は、完璧な救いを意味するわけではないんだ、むしろ逆でさ、それは大きな希望や劇的な変化ではなく、自分自身を見失わないための小さな支えのようなものだ。どんなに無力だと感じても、その光がある限り、それが消えない限り、僕は。
「描かなきゃ、生きてけないんだと、知れた。」
イジマの独創性が、欲しかった。イジマの絵、みたく描きたかった。それでも僕にとってイジマは、意味のある存在だ。その光が、僕に未だあるなら、何かを見つけ、何かを創り出すことができる。
“それが例え地獄であっても“

葵と呼ばれた彼女は、僕の生き方に、深い影響を与えた存在だ。彼女の孤独、彼女の絵、それらすべてが僕にとって一つの象徴であり、答えのない問いかけを投げ続けている。孤独の中で、美を追い求め続けた彼女の姿が、僕の中に今でも鮮明に残っていたから。

原案
芸術家と呼ばれることに何の躊躇もなく受け入れる人間がいるものだ。東と西があり、東には451Saa、西には別の芸術家がいた。彼の名はIZIMAだ。IZIMAはアカウント名を 1ZIMA148から Gnaw1に変えた。それから推測できるのは、彼らがまだ十代であったということだ。
451Saaは天才絵師であり、彼の作品は刺激的で普遍的であり、時には本物のような存在感を持っている。
イジマの代表作は「心中少女」という絵だ。イジマと 451、どちらが絵が巧みなのか。独創的なイジマか、写実的な451か。もし材料があったら、芸術家はそれをどう使うのだろうか。人でも物でも、事件でも。その例として、心臓を食べたのは451だったという噂があり、当時のイジマは迫害を受け、最終的に行方不明となった。

FLOWER 僕は最後に、自分のことを笑った。なぜ、あんなことをしたのだろうか。いくつもの理由が重なる現実を受け入れることなく、ただ食べた。それは死でも生でもなかったが、望まれたことだった。僕が彼女にそれを伝えると、「構わない」と言われた。彼女の薄い現実と僕の理想が、たまたま一致していただけだった。
その現実は、誰が決めることもなくやって来て、彼女を疲れさせた。彼女は自分が薄めた現実だと自分に言い聞かせ、特別に咎められることもなかった。目的は合っていた。年齢や現実を考えたが、どれも僕の願いには叶わなかった。これをしたらどうなるか、その考えだけが膨らんでいた。

彼女は「15歳ならバレやしないし、その年齢なら機会だとは思わない」と言った。僕が「機会って?」と尋ねると、彼女は「現実とか年齢とか犯罪とか倫理観とかでやってはならない。それだけで守られている。世界に警告してあげれば良い。どうせそんなの気休めなんだって、湿布と同じ。痛みを和らげるとカモフラージュしているだけの紛い物を皆信じている。別に悪くない」と答えた。
「湿布」と僕は笑った。彼女の家族が言う通り、何重にも肉がついているのに、皮膚の上から湿布を貼って、何の効果があるのか、それを医者に伝えたら「そうですよね」と言われたと言った。僕はそれを聞いて、「それを言うなら、全部嘘かもしれませんね」と答えた。

「嘘?」と彼女は問い返した。「携帯や、読む本や、教科書も、知識も、遊ぶことだって全部嘘。それこそ気休め程度。生きるための付属品で、時々重たくなる理由でしかない」と彼女は言った。「そうだよね。似ているね、私が言ったことに」と僕は答えた。
僕は「心臓は花っていうフレーズが美しいと思って、ノートにメモしたんです」と告げた。彼女は「心臓に花は美しくなると思うよ」と言った。僕が「犯罪になってもですか」と尋ねると、彼女は「作品になれば良いよね。警告するなら、そのくらいしなきゃ」と返した。「15歳だから良いんじゃない」と彼女は続けた。

その声には毒はなく、純粋なもので、彼女を見ていると錯覚に陥りそうだった。
彼女が「計画はどうやって実行するかだよね」と言った。「考えてみたんです。僕が、食べるので、僕が殺します」と僕は言った。彼女は「私が自分で死ぬのは犯罪にはならないよね。食べればなるかもしれないけど」と答えた。
「計画に意味がなくなりますから」と僕は続けた。彼女は「どうやって殺してくれる?」と尋ねた。僕は「首を絞めるのはどうでしょうか、両手で」と提案した。彼女は「その後に食べるってことだよね」と言った。「ええ」と僕が答えると、彼女は「良いと思う。遺体は綺麗なのかな」と尋ねた。僕は「器よりは綺麗かと」と答えた。
彼女は「詳しいんだね」と言った。僕は「違いますよ。刃物は傷を付けやすい。
皮膚は柔らかい。力だけで済むことです」と説明した。
彼女が「計画通りに。どうぞ」と言い、僕は彼女に近寄り、首元に力を込めた。
彼女は抵抗することなく、その行為を受け入れた。彼女の呼吸は苦しそうで、目も浮ついていた。僕は力を込め続け、その行為が終わりかけると、彼女は最後に僕を見た気がした。視線を逸らした彼女を物にする必要があった。僕の目的は、彼女の心臓を食べることだった。次に僕は鞄からハサミを取り出し、彼女の澄んだ白い肌に触れた。まだ温かかった。彼女はもう呼吸をしていなかった。
僕は彼女の服をハサミで切り、心臓を取り出した。初めて手にした臓器は異様で奇妙だった。テレビで見る形とは少し違い、これが本物だと感じた。僕はそれを口に含み、食べようとしたが、味は酷かった。二口目で吐きそうになったが、それでも食べ続けた。
夜が更け、携帯のカメラで彼女の遺体を撮影した。作品として、証拠として。
次に何をすればいいのか分からなかったが、心臓を食べた後、自分の胃が何かを必死に吐き出そうとしていた。僕は耐えようと決意し、SNSにアクセスして、写真を投稿した。「心臓に花は美しいと思うよ」と。世間の声が増幅し、「これって本物?」と尋ねる声が聞こえてきた。僕はそのやり取りを朝まで見続けた。

APRICOT

心臓に魅力を感じた。理由を付け加えることはできなかった。しかし彼女だけは、決して怒らなかった。幼い頃から絵を描くことが好きだった。それは、風景や人、物など何でも描くことが日常だった。居場所を失う経験を他の人はしたことがあるだろうか。だが、他の人ならきっとこう思うはずだ。どんなに場所が変わっても、どこでも生きられる強さを持つべきだと。そう思えた方が楽だ。

自分の色が歪んでいるなら、その感情をキャンバスに出すのは得意だった。花を描いたこともあったが、彩りを考えず単色で仕上げた。「この絵はどう思う?」と人々に聞くのが楽しかった。

だが、突然居場所がなくなる経験をしたことがあるだろうか。僕はそれを経験した。新しい人が来ると誰かが咎めることがあるが、僕なら寄り添うだろう。それでも皆、寄り添いたがらない。九割の人間が同意すると、残りの一割の意見は通らない。僕はその一割の人間だった。心臓の持ち主である彼女も同じく一割の人間だった。似た者同士で意見を出し合った。答えは正しかった。

心臓外科の特番をテレビで見た。新鮮ではなかったが、画面の向こう側の臓器には魅力を感じた。鳥肌が立ち、不気味な感覚がした。普通の感性も持ち合わせていた。

彼女は儚く、透き通るような肌を持ち、黒く長い髪が特徴だった。学校にはあまり来なかったが、来ると目立つ存在だった。彼女が病弱なのは皆が知るところで、普遍的な日常だった。

僕は彼女に尋ねた。「なんで僕の言った計画を受け入れてくれるんですか?」

彼女は「面倒だからって言ったら信じる?」と返した。

僕は「何が面倒なんですか?」と尋ねた。

彼女は言った。「最初に発した現実が面倒。嫌なら来なくていいって、そうやって毎回しがみつく。嫌とは言ってないけど、こじつけるように、嫌なら来なくていい。でも来たら一緒。その現実が自分で決めた理由もなくやってくる。だから終わらせたいのもある。」

僕は「僕の役割と責任は、それを終わらせることも含まれますよね」と確認した。

彼女は「そうだね。いなかった人が消えても現実は同じ。あなたの理想は私と似てる。だから受け入れるだけだ」と答えた。

「でも、肉体を開くときには凶器を使わないとダメでしょ。心臓を食べることが目的なのに、解体の知識はあるの? 15歳だけど、簡単に開くものなのかな?」彼女は問いかけた。

僕は「ハサミを使おうと思って、鋭利なハサミなら15歳らしいでしょ。凶器と言われても納得ができる」と答えた。

彼女は「猟奇的ね。猟奇的なことをして、だから警告になる。ただ邪魔なのは、真似をされることです」と言った。

僕は「真似されても特別にいいと思う。独創性もオリジナルも既存品から生まれるから」と言った。

彼女は「そうだね、でも事件になったらテーマが必要だよね。僕はそれを『心臓に花』事件と呼ぶことにする」と告げた。

彼女は「分かった。じゃあ実行日を決めよう」と提案した。

僕は「そうですね。明日はどうでしょうか。今は?」と答えた。

彼女は「別に、今死ぬのは怖くないよ」と言い、僕は「じゃあ、壊してもいいですか?」と確認した。

彼女は「計画通りに。どうぞ」と言い、僕は実行に移した。

その後、僕は彼女の遺体を撮影し、心臓を食べた。SNSにその写真を投稿し、「心臓に花は美しいと思うよ」と書き込んだ。

世間の声が増幅し、「これって本物?」「作られたものじゃないの?」という疑問が飛び交った。僕はそれを眺めながら、朝までアカウントが注目を浴び続けた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?