曽野綾子『私の中の聖書』の「解き放されるために」
旧約聖書の中の箴言の中のアグルの作とされる(箴言30・7~9)
「わたしは二つのことを、あなたに求めます。
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
うそ、偽りを私から遠ざけ、
貧しくもなく、また富もせず、
ただなくてはならぬ食物で私を養ってください。
飽き足りて、あなたを知らないといい、
『主とはだれか』と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。」
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「私たちが、この世で金を必要とするのは、
実は金から解き放されるためである。
金というものは面白いもので、
なければほしくて金の亡者になり、
あれば、それを失うまいとして、金に使われるようになる。
アグルはそのことについて知っていたのである。
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凡庸な精神力を持っているのだから、
我々にとっては、飢えのために主に祈る気力も失われるような貧困や、
生きる目的がわからなくなったり、人が信じられなくなるほどの富は、
どちらもお荷物になるだけである。」
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大金持ちになったことはないので
溢れんばかりばかりの富の感覚は
よくは理解ができない。
しかし、
家のローンを抱えながら
子ども達の学費や教育費の支払いに苦労したので
貧困ということは理解しやすい。
車検の費用が工面しにくかったり
水道料金の督促が来たりしたこともあるから。
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経済的な不安があることが
一番のストレスとなる。
死活問題だからだ。
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贅沢がしたいというのではなく
経済的に安定して
安心して生活したいのだ。
今は学費の苦労がなくなっているので
ほっとしている。
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生活の心配がなくなってから
落ち着いて
精神的な思考をすることができるのだ。
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お金を持ち慣れていない宝くじの当選者が
往々にして
不幸になるというのは想像できる。
お金に支配されるようになると
おそらく不幸になる。
お金は手段であって目的ではない。
闇雲にお金を使わないことや貯めることに執着すると
上手くお金を使うこともできなくなる。
お金には役に立ってもらわなければならない。
そのためにお金は存在している。
このような考え方が理解できないような人とは
ともに生きてゆくことは難しくなる。
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今の生活の必要なことにお金を使う。
幸せになることにお金を使う。
将来のことに繋げてお金を使う。
もちろん貯蓄もきちんとしてゆく。
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働くことができるように健康には気を付けておく。
健康でいること自体が倹約とも言える。
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生活するに十分なものがあればいいと考える。
そのような考え方に世の中も変わってきているように思う。
多くのものを持っていることが
幸せではないとみんな気がついてきている。
少ないものを大事に日々使うことで
本当の幸せを感じることができる。
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そのためにも
すべての人が健康で文化的な生活ができる社会保障の仕組みである
ベーシックインカムが必要だと
いつも真剣に考えている。
実現できるようにと真剣に考えている。
そうでなければ
不幸な人を救うこともできない。
幸せな人を増やすことができない。
どうか
実現させてください。
お願いします。