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曾野綾子『誰にも死ぬという任務がある』「期限つきの苦悩」

音信の絶えた奥さん
もう大分前のことになるが、私の心に気にかかって仕方がない一人の人の存在があった。
手紙でしか知らない人だが、その家庭環境が厳しかったのである。

作家に人生相談をする人が多くいた時代がある。

今でもそうなのだろうか。

何が寂しいと言って、私には利己主義者を見るほど心が滅入ることはない。もちろん私たちは誰でも少なかれ利己主義者なのだ。

自分が犠牲になって他人の辛さを引き受けるどころか、自分さえ少しでも楽なら「ああ、よかった」と思うのが普通なのである。

しかしそれでも一家の中に、自分の都合しか全く考えない家族がいたら、私にはそれほど悲しいことはない。

自分の都合だけ考えるということは

家族のことは一切気にもしないということだ。

気になっていないことに何ができるだろうか。

ただの日常の風景としか見えていないのだ。

苦しむ役割は自分ではないと逃げることができるのだから。

どれだけ人間が未発達なのだろう。

私の夫も

そのようなのだ。

現実の運命を一緒に耐えて行き、少しでもいい方へ導いていこうとするのが普通の夫婦だ。

一緒に苦しみを分かち合うことを

夫婦なら家族ならしてほしかった。


だから家の中で孤独だった。

孤軍奮闘だった。

自分の味方は自分しかいなかった。

どんな風にして毎日を生きていたのだろうか。
もちろん人間というものは、いかなる場合にも、自分を救うようにできているから、何かの気晴らしの種として自分一人の楽しみを見つけていたかもしれない。

何も事情をわからずに、他人が同情することも失礼に当たるだろう、と私の思いは堂々巡りをするばかりだった。

だから聖書を学ぶようになったのだ。

自分の心を救いたかったのだ。

これだけはっきりと音沙汰なくなるというのは、ごく普通に考えると、この女性が亡くなったとみるのが自然かもしれなかった。
解決であり救いであるという死の機能
一般的な言い方になるが、最近の日本人は、幸福で当たり前ということになっている。
しかし戦前の私の子供時代、
現世は「不幸が普通」だった。
あっちにもこっちにも、
食べていけない人、
一家の働き手がアル中の家、
結核で死にかかっている秀才の息子を見送ろうとしている親など、
胸が痛くなる情景がいくらでもあった。

現在はみんなが豊かになっている。

いい時代だ。

暴力を振るう性格は、つまりは弱さから来るのだが、家庭内暴力はそのまま弱者が強者になっている状態だ。

家で暴れることしかできないなんて、心が弱い人がすることだ。

自分で自分を追いつめているのだ。

いちばんの敵は自分自身であることにも気がついていない。

その女性の思いをもう少し聞いてあげればよかった。

曽野綾子さんは多忙であった。

そして私は、彼女の死を、少しも悲しんでいないことに気がついた。

最期の日まで妻として母としての責務を果たせば、彼女の人生はある意味で成功だったのだ。

私は一度くらい無責任でも逃げ出してしまえばよかったと思う。

そして自分の責務の重大さに家族が気がつくいい機会となればよかったとも思う。

死ぬ他に、逃げ出せない境遇というものは、今でもれっきとしてこの世にある。
今は生活保護というものがあるから、人間は餓死からは救われた。

生活保護も臆することなく申請するほうがいいと思う。

生存権は保障されている。


今でも、死は実にいい解決方法だと思う場合がある。

自殺はいけない。人殺しもいけない。

しかし、自然の死は、常に、一種の解放だという機能を持つ。
痛みや苦痛からの解放だという場合もあるし、責任や負担からの解放である場合もある。
周囲の人に、困惑の種を残していくという点で無責任だという場合はあるが、死ぬ側にとっては、自然の命を終えれば、死は確実な救いである。
こうした死の機能を、私たちは忘れてはならないと思う。
どんなに辛い状況にも限度がある。
つまりその人に自然死が訪れるまでである。
期限のある苦悩には人は原則として耐えられるものだ。
だから私たちは、自分の死を死に易くするためにも、もし今苦しいことがあったら、それをしっかりと記憶し、死に臨んでそれらのものから解放されることを深く感謝すればいいのである。

苦痛は死ぬまでの期限付きであると考えることで

自分を救うという考え方である。


できるならば

死ぬ前に

自分自身を救ってください。


どうにかできる方法を見つけてください。

誰かに相談してください。

一人で悩まないでください。

何かできることがあるはずです。

自分が我慢するだけではない方法があります。


その苦悩から解放されて

自分の幸福を感じてから

その幸福の中で

自然の死を迎えたいのです。

そうする権利があるのです。



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