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曽野綾子『魂の自由人』「人生の巡礼者たち」

魂の自由を得るには、他人からの干渉をできるだけ減らすほかはない。
何度も言うように、私たちは他者の存在によって生かされている。
もしこの地球を私一人にくれると言われたら、私は全地球の大統領、たった一人の大地主になるわけだが、生活は原始生活をするほかはない。
しかしそれでもなお、「一人で生きられる」という条件が魂を自由にする。
その第一は肉体的自立である。

地球上に立った一人残されたとしても

原始的な生活しかできなくなったとしても

生き残るために必要なことは

肉体的に自立しているということだ。

つまり、

そんな状況では

健康でいなければ生き残ることはできない。

魂の自由人にはなれない。

・・・
だからどうしても避けられない運命以外、自分の行動は自分でコントロールして、健康を保持しなければならない。
つまり、謙虚に喫煙と深酒はやめなければならないのである。

健康の維持のためには喫煙と深酒をやめることが必要ということだ。

自分自身については

喫煙も飲酒もしないので

健康的に栄養の偏りのない食事をとるように気を付けるということだろうか。

私にとっては、ストレスと上手く付き合うことがが重要事項だ。

・・・
体も(車と)同じだろう。
適当に食べ、手入れをし、動かなければ、新車はあっという間に古びて早々とスクラップになるのと同じ結果になる。

体の手入れということにおいては、歩くことやストレッチ、ラジオ体操を毎日のスケジュールに入れて継続してやっている。

運動をすることは年を取ると本当に大切だと実感している。

体の不調は心の不調につながり、その逆もしかりなのだ。

体の故障ができれば、心も自由になるのはむずかしい。

病院のベッドに寝ていれば、ひがんだり、自己中心になったり、いらだちを覚えたりしても当然だと思う。

医師の中には「癌で死ぬのは悪くないですよ」という人がいるのは、ガンは死ぬまでの期間、自分で体を動かせない、という日時がそんなに長くないからだ、という。

入院をしたことがあるが

同じ軟禁状態にしても

自宅にいることができることは

精神的にずいぶん違うものだ。


自宅にいて、いつでも出かけることができる状態であるのと

病院にいて、許可がなければ外にも出られない状態であるのとは

気持ちの上で全く違うということだ。

もちろん、いかに摂生しても、事故は起きる。
DNAとして祖先からもらった遺伝的因子が病気を起こさせたとしても、それはその人の責任ではない。

この事故というのは、病気になるという点において、自分の責任ではない遺伝性のものを「事故」と表現している。

・・・
しかし、それでもなお、人間が一人で食事ができ、一人でトイレに行けることは何と素晴らしいことか、を痛感する。

カバンもどうやら動かせる限りは、人間はどこ迄も旅をすることができる。

移動することの自由があるということは、魂の自由につながるのだ。

魂の自由人になるためには、病気や運動機能の障害からできるだけ長く自分を守る決意が若い時から必要だ。

肉体的に自由でいられ、移動する自由を持つためには、若い時から自分の体を管理していくことが重要だという。

しかし、仮に運動の機能障害が起きたとしても・・・中略
・・・そいう人たちは私たち体の動く人よりもっと意志が強い。
自己規制に長けた人たちである。
障害者だから特別扱いしてもらうのが当然だという甘えのない、みごとな人たちである。

しかし、身体的に不自由のある人でも、前向きな姿勢がある時には、他の人と共に活動することで、その不自由を感じることなく活動することができる。

(曽野綾子は体の障害のある人たちとともに巡礼の旅を行っていた。)

なかなか実行することができないことを曽野綾子は何年も続けて行っていたのだ。

ほんとうに尊敬するばかりだ。

その賢さ、才覚、気力、人生に対する前向きな姿勢が、体の不自由はあっても、彼らは自由人であることを示している。
道はどんな地点ででも開けているのだ。

ということは

体の不自由があったとしても、意志を強く持つことで実行できることは数多くあるということだ。

しかし私たちとしては、その可能性を当てにしているばかりではいけないのだろう。

そうなるためには、そこに至るまでの強靭な精神が必要となる。

いや、

本来は、強靭な精神力がなくとも、社会の仕組みを整備することで、体の不自由な人が実行できることが多くなることの方が重要だと思う。

現在はそのような社会となってきている。

凡庸な方法で魂の自由と獲得したいなら、まずは最低限、健康に心を使うのが義務なのである。

私たちが魂の自由を獲得するためには、健康に十分に気を付けて生活することが必要だというのだ。


健康であることで

自由な魂をもって

何かの助けになれるかもしれない。

そして

自分で決めて自分で行動するという

自発的な活動をすることで

魂の自由人となることができる。

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