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曽野綾子 年老いること 病み惚けること

死を受容するには

年老いることや

病み惚けることが

必要なのだ。

死の話を

ずっと忌み嫌っていた日本であるけれども


死に向き合うのが

恐ろしかったので

うやむやにしないと

生きていけなかったのだろう。


災害や

飢饉や

恐ろしいことが多すぎたのだ。


死ぬ時には

だんだんとぼやけてきて

生きているのか

どうなのか

分からなくなるというのは

救いでもあると思う。

生きることが

かったるくなり、

生きていても

半分眠っているような状態になる。

老いると

眠っている時間が多くなる。

そして

ほとんど眠ってるような状態になる。

それも

いいことだろう。

その過程が大切だ。

そうするうちに

苦しいとか

辛いとか

感じなくなるようになるまで

ぼんやりとしてきて

「幽冥界を異にする」(この世をお別れをする)というが、

ぼんやりとした中から

光が射してきて

その光が

だんだん広がって来て

そしたら

いちばん会いたかった人がいて

やさしく微笑んで

手を差し伸べてくる。

幽冥界の

ぼやける境地が

死のためにはいいのである。
『至福の境地』

そうするうちに

眩しい光の中へ

吸い込まれていくように

旅立って行く。


いちばん会いたかった人と一緒に

ふんわりとあたたかく光に包まれて

ゆっくりと

のぼっていくのだろう。



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