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曽野綾子『うつを見つめる言葉』(『現代に生きる聖書』)より

人間は弱くなっているとき、病気になっているとき、気がめいって落ち込んでいるようなとき初めて、その次の段階が見えます。

曽野綾子さんも「うつ」の経験者だ。

その「うつ」から抜け出すことができたのは、ある年齢から、人間の運命のそれまでよりは少し従順になったからだという。

要らない人は一人もいない。一人一人持ち味と能力が違うのだから、いなくていい人はいないのである。
だから自然体で、できるだけのことを、おもしろがってやることだ。他人と比べるから辛くなるのである。
そう思った頃から、私は過度の努力、律義さ、負けず嫌い、白黒をはっきりさせること、などから遠ざかった。
他人から非難を受けた時は、少し考え、反省すべきところは反省し、直すことができなかったらカメのように首を竦めてやり過ごすことにした。
そうして私はうつではなくなったのである。

人間の性格や思考の傾向をすべて変えることは難しい。

けれども考え方を見方を変えてみると

同じ事柄が別の見方で見えてくる。

そうなると

それまで辛いだけのことだったことが

そうでもなく見えてくるものだ。


まだ若い頃の私の指は、洗剤でひどく荒れていた。

帰省の際に食べ終わった食器を洗っていると

義母から

「いつ洗えと言った!」と言われた。

その場に立ちすくみ

そっと離れてゆくことしかできなかったけれども

よく考えると

荒れの酷い手では

口に入れるものに触れてほしくはなかったのだろう。

その気持ちも理解できるように思った。

そして

それからはなんとか食器洗いを手伝わなくてはという気持ちから解放されたと思った。

なんという解放だろうか。

できることをすればいいのだ。

いやしなくてもいいくらいだと考えた。

すると

気持ちも安定してきたのだ。

一つひとつを解決していくと安定する。

しなくてもいいものが増えることは嬉しいことなのだ。

それからは

食器は流しには持っていくが

洗うことはしなかった。


これは

ラッキーではないかと本当に思った。


その後にも

私に対する困難は

次から次へと現れたけれども

その度にレベルが上がる電子音が頭の中で鳴っていった。


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