正しい人ではなく罪人を招くために来たイエス
自分のことを正しいと思っている人は
おそらくは正しくはない。
完全に正しい人なんていないから
正しい人はいないことになる。
自分について正しさを振りかざす人は
正しくはない。
正しいなんて言うことはできないけれども
正しさを求めることをやめるわけにはいかない。
正しさについて考えるときに
自分の正しくないところが見えている人は
おそらくは
正しさに近いところにいる。
自分の正しさについて
疑問を持たない人は
おそらくは
正しさから
かけ離れたところにいる。
自分の正しさについて
多くの事を語る人は
正しさの言い訳をする必要に
駆られている。
多くの言い訳をする時点で
すでに正しくはない。
人間は複雑であるので
ひとつの視点からだけ見て
判断することはできない。
すると
正しさにも複数の視点が見えてくる。
正しくない点も見えてくる。
正しくない点が見えてくることで
もはや正しさを振りかざすことはできなくなる。
イエスは
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
と言った。
よく考えると
自分を正しいと考えている人は
正しくはない
また、自分の罪を認識している人を
罪人と言い
その罪人たちのために来たという。
そう考えると
自分を正しいと考える正しくはない人と
自分の罪を認識することができている人と
さらには正しさなどについて考えるまでもなく生きている人と
全ての罪人のために
全ての人のために
来たということだ。
イエスは
全ての人を救うために
来た。
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