曽野綾子「最期の光栄」(『私を変えた聖書』)
イエスは死において
「『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取った」(ヨハネの福音書)
イエスが死を受け入れることで
人間の原罪を贖うことができるということ。
そのことが
「成し遂げられた」
つまり
自分の使命を果たすことができたということ。
その際に、刑を執行するローマ兵の差し出した酸いぶどう酒を含ませた海綿を受け取り、口にした。
最後までイエスは、受け取ることで与えることができた人
まさに
神の子。
・・・
(要約)
また
沖縄戦での
渡嘉敷島の集団自決で
生き残った十二歳の少女と二歳の弟に対して
そこへ来た若い米兵がチョコレートを差し出した。
村のおばあさんが毒が入っているから食べてはいけないと言ったが
親や親戚のみんなが死んでしまい、毒が入っているならそれで死のうと思い
黙ってチョコレートを受け取り食べ、弟にも食べさせた。
それを見たその米兵は号泣したという。
愚かしい戦場の中で
米兵は人間としての場を与えられたのだ。
・・・
・・・何度読んでも泣いてしまうところだ。
この場合
人間の心を与えられたのは少女ではなく、米兵。
日々、人の命を奪う戦争の中で
米兵は
与えるという人間的な行為に対して
嬉しさのあまりに号泣したという。
・・・
人間は
無力で何もできない瞬間にも
そして
最期の瞬間にも
人の優しさに応えるという
行為をすることで
人に対して
「与える」
ことができる。
何も持たず
何もできない状態においても
また
最期においても
私たちは
何かを「受け取る」ことで
何かを「与える」ことができる。
それが「最期の光栄」
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