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曽野綾子『魂の自由人』「弔辞」

魂の自由については、今さら私が書くのも恥ずかしいほど、昔から多くの人が書いてきている。
ヘロドトスが書いている自由とは、次のような凄絶な選択である。
「マネスの子アテュスが王のときに、リュディア全土の激しい飢饉が起こった。リュディア人はしばらくの間は辛抱してこれに耐えていたが、いっこうに飢饉がやまぬので、気持をまぎらす手段を求めて、みんながいろいろ工夫したという。そしてこのとき、ダイス(キュポイ)、骨サイコロ、毬遊びなど、あらゆる種類の遊びが考案されたというのである。(中略)
さてこれらの遊戯を発明して、どのように飢饉に対処したかというと、二日に一日は、食事を忘れるように朝から晩まで遊戯をする。次の日は遊戯をやめて食事をとるのである。このような仕方で、十八年つづけたという。

食事を制限することで飢饉の対応したという話。

その中で遊戯となるものが発達したという。

しかしそれでもなお天災は下火になるどころか、むしろいよいよはなはだしくなってきたので、
王はリュディアの全国民を二組に分け、
籤(くじ)によって一組は残留、
一組は国外移住と決め、

残留のくじを引き当てた組は王みずから指揮をとり、
離国の組の指揮は、テュルセノスという名の自分の子供にとらせることとした。

国を出る籤に当たった組は、
スミュルナに下って船を建造し、
必要な家財道具いっさいを積み込み、
食と土地を求めて出航したが、
多くの民族の国を過ぎて
ウンバリアの地に着き、
ここに町を建てて住みつき
今日に及ぶという」
さて餓死を避けるためには、国民の半分が国を出なければならなかった。その運命は籤で決めたのである。
討論していたら、こうした過酷な人選は決して決められない。

飢饉による餓死を避けるために国民を半分国外に移住させることとした。それには籤によって決められたという。どうにもならない状況の時には公平に決めるためにも籤引きとなる。

まさにこうした事態について、マキャヴェリは書いている。
「弱い国家はつねに優柔不断である。
決断に手間どることはつねに有害である」

判断が遅いと取り返しがつかないことにもなる。

決断力が必要な時がある。

アティス王は年寄りだから、国に残った。
若い王が国を出た。
何もかも自然だ。
しかし残留組と出国組の運命は決して平等ではなかった。
しかし貧乏籤を引いたように見えた出国組のリュディア人たちは、
おそらく艱難辛苦の後に、
平安を手にした。
彼らが落ち着いたイタリアのウンバリア地方は
豊かで温和な自然に囲まれた土地である。
人の運命は分からないのである。
だから私たちは
ー何度も言うようにー
自分の未来は分からないという当然のことを、
今よりもっとはっきりと肝に銘じるべきなのだ。

自分の未来は分からないということを肝に銘じる。

そして備えることしかできない。

最悪の回避ということが必要だからだ。

・・・

フランシス・ベーコンはその『学問の発達』の中で

人間のできることは、現在、善を追求することであって、「将来のことは、神の摂理に任さなければならない」からだと

言っている。

将来の善まで確保しようとすると、人は自らの心を縛るようになる。

善だからそうするのか、そうすると決めていたからするのかということとなる。

その時の善を考えるとすると、前から善となるものを決めてしまうことなど出来ないのだ。

・・・

テュキュディデスはペロポネソス戦争を描いた『戦史』の巻二の中に、
紀元前431年から430年にかけての冬、
戦没者の葬儀において、
クサンティッポスの子ペリクレスが述べた弔辞を記録した。

この弔辞がこの文章の題となっている。

「われわれの政体は他国の制度の追従するものではない。
ひとの理想を追うのではなく、
人をしてわが範に習わしめるものである」
「われらは質朴のうちに美を愛し、
柔弱に堕することなく知を愛する。

われらは富を行動の礎とするが、
いたずらに富を誇らない。

また身の貧しさをみとめることを恥とはしないが、
貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる」
「またわれわれは、
徳の心得においても、一般とは異なる考えをもつ。

われらの言う徳とは
人からうけるものではなく、
人にほどこすものであり、
これによって友を得る。

またほどこすものは、
受けた感謝を保ちたい情に結ばれ、
相手への親切を欠かすまいとするために、
友誼(ゆうぎ)はいっそう固くなる。

これに反して
他人に仰いだ恩を返すものは、積極性を欠く。

相手を喜ばせるためではなく、
義理の負い目を払うに過ぎない、
と知っているからだ。

こうしてただわれらのみが、
利害得失の勘定にとらわれず、
むしろ自由人たるの信念をもって
結果を恐れずに人を助ける」
「幸福たらんとすれば自由を、
自由ならんとすれば勇者たるの道あるのみと悟って」
「人の世のしあわせとは、
死すべきときには、
あなたたちの子供らのように、
死にふさわしい至高のいわれをもつこと」
「年老いた人々は、
久しき人生をしあわせに過ごしえたことを果報に思い、
残る悲しみもあと日数短いものとして」
生きることを、その文中で望んだのである。

その時代に生きた人たちの深い信頼関係、信念のある生き方、本当の友と共に戦うということ、徳、自由、勇者、幸福、死についての考え。

・・・

エピクロスが望んだ思慮にはとうていおよばないが、私が最後に辿りついた「必需品」は諦めと絶望である。
体裁のいい言葉でいえば、私は分を知ることにしたのだ。

自分自身をよく知るということは、他者に対する理解ができるようになるということだ。自分にできないことを他者には求めることなどできないからだ。

すると自分と他者の違いがよく理解できるようになり、自分と他者を分けて考えることができるようになる。

そうすることで自分と他者の境界線が明確になり、心が安定する。

自分と他者は違うのだから。

仕方がないではないか。

私は当然他人に理解されることを望みはしたが、最終的には神以外の人間が他人を理解することはそもそも不可能なことだ、と知っていた。だから、他人を理解できないことを心の中で詫びていた。それでおあいこだったのだ。

絶望と諦めということは

まずは期待することをやめるということだ。

そういう意味での絶望と諦めは、実にさわやかだ。それは自分を他者の双方向から、許しを乞う旋律で奏でられている。もし絶望と諦めがなかったら、我々は常に怒り、決して自由な眼差しで、外界をみつめることはできないはずだ。

自分を許す

それならば

他者も許さないといけなくなる。

それがお互いにできればいいわけだ。

ここまでこれだけ、善悪、明暗、幸不幸を現世で知り、見られたことに私は感謝している。

そうだ、もう一つの旋律の鍵は、感謝かもしれない。

「ありがとう」という日本語はその要点を衝いている。
すべて私が見聞きしたことは「あり得ない」ほどの、
すなわち「ありがたい」ほどの貴重なものだったのだ。
そう思えば、
私は天駈けるほどの
軽やかな魂の自由を
感謝とともに実感できるのである。

最終的に自由となるためには

感謝することができることだろう。


すべてに感謝することができるようになれば

すると

自分と他者の境界線もなくなり

そしてほんとうの

魂の自由人となる。


それが

十分に生きたこととなる。

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レモンバーム17
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