曽野綾子 自由を超える
もし
自由が尊く、
本当に自由を保とうとしたら、
当然、
人間は
その中で千差万別になって行く。
自由と言う定義を
ほかの人のことは考えないで
自分のしたいままに
自分のしたいことをする
とするならば
人びとは
てんでバラバラに
思うようにしたいことをして
混乱するのだろう。
秩序なき世界となる。
少なくとも
個性を持つ人なら
それが当然である。
個性がある人間なら
自分のしたいようにすることも
その個性のものとなる。
人とは違う自分なのだから。
それが個性となるのか。
しかし
それを超えて、
しかし
自分のしたいようにするように
他の人のしたいようにすることを
認めていくうちに
自然に
自由とは
自分の自由を守るとともに
他の人の自由を
守らなければならないことに
気がつく。
私たちは
何とか
生きていかねばならない。
そうなるので
私たちは
その自分の自由が制限されることをも
ある程度
認めながら
そして
自分の自由を超えたものとなるように
生きて行かなければならない。
それが自由の定義となる。
『人びとの中の私』
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