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曽野綾子「隠れたものの美学」(『私を変えた聖書の言葉』)

「『施しをするときは、右の手がすることを左の手に知らせてはならない。・・・そうすれば隠れたところで見ておられる父が、あなたに報いてくださるのだ』」

マタイの福音書の言葉


神からの本当の報い、報酬とは、どういうものなのか。


善い行いにおいて

他の人から承認や賞賛を目的とすることなく

むしろ隠れてすることが必要であると言っている。


そうすることで

神の存在をより近くに感じることができ

天の存在に近づくことができる。

つまり

天国に行くことができると確信するようになることで

自信に満ちた生活をすることができるという。


さらには


「生涯を通じて、神は離反しようとしてもできるものではなく、反抗しようとしてもその行為に意味もなく、その悪そのものが神の光の影として認識されてしまう。その思いが、すべての報酬の中で、最大のものである」


心の中に神が常にいることで

善いことでも

悪いことでも

すべて神に認識されており

神に見られている。


そして

起きているすべての中に

神の存在を感じることができる。


その起きていることにおいての意味を

深く考えることで

よく理解することができるようになる。


そのような

すべてのものから意味あることを

学ぶことができることこそ

「神からの最大の報酬」であるという。


そして


多くの功績を残すような人生であったとしても

慎ましく密かに生きていたとしても

そして上手くいかなかったと嘆くような人生であったとしても


つまり

どんな生き方をしても

私たちの生き様を

神が十分に認識していることには

変わりがなく


その神の認識そのものが

神からの私たちへの報酬であり

恩寵である。


神は

いつも私たちを見ておられるということ。


そして

静謐に

隠れて生きている人を

特に

細やかに

いつも

どんなときでも

神は

見守っている。



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