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曽野綾子『魂の自由人』「記憶の中の団欒」

中国の賢人は、昔は晴れると雨の到来を思って泣いた、という。
子どもの時にそう教えられてから、私はずっとこの話が耳の奥にはりついたように忘れられなかった。

晴れるということは次には雨になるということ

雨になるということは災害に繋がることが多くあったので

中国の賢人は泣いたというのだ。


いいことがあると、次には嫌なこともやってくるということだ。

その循環でこの世はできている。

現在、金に不自由しないからと言ってその儘の状態が長く続き、今まだ若いからと言って死を思わないのはどうしても心の単純な人の行為のような気がしたのである。

良い状況が長続きすることはないということ

また

若いからといって死が必ずしも遠い存在ではないということ

常にどうなるのかは、誰にも分からないということなのだ。

すべての現状は長続きしない。

すべての状況は長続きしないというならば、見方を変えれば、悪い状況も長続きはしないとも言える。

子供の私が学んだのは昔からそのことばかりだった。
私がもし父母を病気で失っていたら、そのことから私は、幸福な家庭が一夜のうちに瓦解する苦しみを実感として学んだことだろう。
幸いなことに、私の両親は長生きしてくれたし、私は一人っ子だったので、兄姉を失うという悲しみも経験しなくて済んだ。
しかし、私が十歳に時に始まり、十三歳の時に終わった大東亜戦争が、私に現世の儚さを味わわせてくれた。
最近では大東亜戦争という呼び方をしてはいけないという。
どうしてだろう。
あの当時に子供時代を生きた者は、それ以外の言葉であの戦争を体験していない。
日本がアジアへの侵略を計ったことも本当だろうが、度重なるヨーロッパの進出と植民地化から、アジア諸国を解き放つ、という大東亜共栄圏の思想があったことも決して嘘ではなかった。
どちらかに百パーセントという話は、むしろ必ず嘘である。
人生は不純だから、温かくおもしろいのだ。

言葉の修正を出版社から求められたところは、この「大東亜戦争」や「大東亜共栄圏」についての文だろうか。

戦争は一瞬で多くの命や人生を奪い、破壊する。

現世の儚さを実感として経験したのだろう。

戦争がいいものだった、とする理由はどこを探してもない。

しかし戦争によって学んだことはある。
それは世相は常ならずということだった。

平和はもろい。

生命の継続も偶然の幸運の結果である。
家族のつながりも一時の夢かも知れない。
個人の健康など、常に風前の灯である。

現状が継続していくことには、困難があるということに気がつくことが必要なのだ。

何事もずっと上昇し続けていくことは不可能なのだ。

今の現状の維持すら難しいことであるのに。


今ある幸運と幸福に感謝するべきなのだが

人間は悲しいことに

失ってからでしか

その存在の有難みが理解できないものなのだ。

私は、現在の悪い状況は深く心に刻みつけるというやり方で信じ、現在のいい状況は、いつ取り上げられてしまうかも知れないこの世の幻として、あまり信じない癖をつけた。
それは単なる幸運と思うことにして、深く信じたり、それを当然のことと思ったり、いつ迄も続く、と期待したりしないことにしたのである。
私の幸せは、私が望めば、自分が自分らしく、必要にして充分なだけ持っていれば、それで誰からも非難されないことであった。
身分や立場を考えて、大きな椅子に座らなければならない、ということもなく、お金がないために椅子がなくて地べたに座っていなければならない、ということもなかった。
椅子は、自分の目的、身丈、好みの重さ軽さなどに只合っているだけでよかったのだ。

自分が自分らしく生きるというだけで、

多くの事から離れて自由に生きることができる。

虚栄心を捨て、自分ができることとできないことを自分で理解し、

自分で充分だということに感謝するだけで

もう幸福を感じることができる。

しかし、「持っていても持たないかのように」(パウロ、コリント人への手紙7・29~31)生きるのは充分な意味がある。
その時初めて私たちは失う場合に備えていることになり、実際に失っても少しは驚き慌てずに済む、という心の自由に近づくのである。

そして常に失う覚悟を持つことで

失った時に驚き慌てるということを少し和らげることができる。

何事にも準備や心構えが必要なのだ。


テレビ番組の中で

カズレーザーも同じようなことを話していた。

カズレーザーは

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