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曽野綾子 共に苦しむ

一人で苦しむのではない。

私と共に苦しんでくれる人がいるというのだ。

これはなんという

すばらしいことだろう。

共に苦しむということは

何と素晴らしい行為なのだろうか。

現世に仮に

そういう人が一人もいない場合でも、

神だけは

確実にそうなのである。

現世にそういう人がいない場合にでも

神は

必ず

共に苦しんでくださる

というのだ。


では

自分の味方は

必ず

自分自身と神となる。


神を味方にするほど

安心するものはない。


以前苦しんでいたころ

この神の存在が

私を勇気づけ励ました。


神しかいないとも感じていた。


現世に共に苦しむ人がいなかったとも言える。


だからこそ

神を

その存在を

強く感じたのだ。

いつでもそのことを思う度に、

私は信じられないほどの

安心と光栄を感じるし、

自分が慰め手になれる場合もあるだろうか、

ともふと夢見るのである。

曽野さんは

この共に苦しむことを

ふと夢見るというのだ。


実際に

多くの苦しみを担ったのだ。


苦しみを夢見るというまでの境地とは

すでに

人間を超えている境地だろう。


凄いとしか言えない。

『心に迫るパウロの言葉』


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