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曽野綾子『三秒の感謝』持っている者が持っていない者に

子供が子供という聖域に置かれ、罪とは関係ない、と見なされている国は少ないのかもしれない。
ベイルートではパレスチナ人の難民キャンプで六歳くらいの子供まで含む少年たちがレンジャー部隊と同じ銃剣術や綱渡りの訓練を受けているのを見たことがある。

本来なら子どもには子どもらしく

生活に不安を感じることもなく

毎日が楽しく

生きてもらいたいと思うのが

大人、親としての気持ちなのだ。


しかし

どこの国でも

そうもいっていられない子どもは

精神的にも早く大人となっていっていく。

そうならないと生きていけないからだ。


・・・


曽野綾子さんが昔経験したこと。

アラブ人の家庭で小さな食事用の椅子の座ったその家の娘の

すぐ傍らのソファに座った時

その女の子は

ちょうどおやつの時間だったので

自分が一枚のポテトチップスを食べると

次には

曽野さんの口にポテトチップスを入れてきたという。

それを交互に繰り返したという。

それがアラブの礼儀なのだ、と同行者が教えてくれた。

客とはいつも食べ物を分け合う。

その家も決して豊かではなく、

彼女も、

ポテトチップスを食べたくないから私にくれたのではない。
持っている者が、

持っていない者に分けることができなかったら、

それは人間ではない。


客に対しては、

一個のパンを半分にしてももてなすものだ、

という躾をしているのである。

そのことが、わずか二、三歳にしてできるというのだ。

アラブの生き延びる知恵と本能。


食べ物を分け合うということが

お互いが生き延びることに繋がる。


助け合うことは

人のためであり

巡り巡って

自分のためでもある。



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