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曽野綾子『自分の始末』「謝罪の時代 昼寝するお化け 〔第八集〕亅2

愛というものは、

相手をよいと思われる方向に、

むりやりに方向転換させることではない。

むしろじっと見守ることだ。

ということは、聖書で学んだ。


しかし

私たちは

相手を変えさせることの方が、

ずっと好きなのである。

聖書には

雪で白く覆い隠すように

相手のことを白く覆い隠し

何も見えないようにしなさい、

というようなことが書かれてあった。


また

急に人を改変させるようなことは

してはいけません、というようなことも書いてあった。


聖書を学んでいた時

私を責めることで

学習させるという意識が

相手に

見えた時


前の二つが

聖書には書いてあるのに

どうしてそういうことをするのですか?

と聞いた。


聖書については

私は詳しくはないかもしれませんが

私も大人であり

多くの事を経験してきているのです。

何故

何も知らない子どものように

扱うのですかと聞いた。


それは

人を

無理矢理に方向転換させること

改変させることの方が

人間は

ずっと好きだからなのだ。


それには

快感が伴うのだろう。

自分の方が偉くなったようにも

思うのだろう。


当時は精神的に参ってしまったが

今となっては

いい経験をしたと思っている。


転居の際に

私はあいさつの手紙を出したが

相手からは

何もなかった。


もうそれですっきりと

決別することができた。


私は聖書から学んだ。

それでよかった。


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