明日から悪口を言う人と無縁になる話
いつ、どんな時も辺りを見渡せば大抵の人たちが何かしらの悪口で盛り上がっている。
話題を提供する者
一生懸命同調する者
今日も今日とてご苦労さん、そんな気持ちで眺めている。
もし、会社や学校、ママ友などコミュニティの中でそのような場面を見かけたらあなたならどうするだろうか。
私はいつも、気持ち良く挨拶だけして完全にスルーしている。
私は人目のある場所で悪口を言う行為自体を辞めた。
感情論は事実を捻じ曲げ予期せぬ展開を招くこともあるため、たまりかねた時は自宅で家族にだけ話したり日記に書いて発散して翌日まで持ち越さない。自宅から外には絶対に出さないようにしている。
ここからは私の考え方による見解の話になる。
一個人の捉え方として見て欲しい。
ある書籍か何かでこんな一説を目にした。
愚痴を言うとやる気や快楽に関与するホルモン「ドーパミン」が分泌される。
しかし、それと同時にストレスホルモンである「コルチゾール」も分泌される。
これを見てお分かりいただけただろうか。
ストレスを発散するために悪口を言った
→シェアしてスッキリ(ドーパミン分泌)
→でもなんかモヤモヤ(ストレスホルモン分泌)
→もう少し愚痴を吐こうか考える
これの無限ループ。
ストレスは発散されたのだろうか。
残念、全く発散されていない。
更にドーパミンには厄介な特徴がある。
ドーパミンは一度経験したことではもう二度と分泌されることがないホルモンである。
つまり同じ話題ではもうドーパミンは出ない。
また、一度に大量のドーパミンが放出されると更にそれを上回るドーパミンを求めるそうで、それが通常運転になると過剰なドーパミンの分泌による依存症へと繫がっていくという。
刺激が欲しい=ドーパミン出したい!
どうです?
人間も結構、動物っぽいでしょ?笑
例えて言うなら、初めて自転車に乗れた時の感動を2回目、3回目と同じくらい感動するだろうか。
気付いた頃には当たり前に自転車に乗って無表情で目的地まで漕いで帰ってを繰り返してはいないだろうか。
パチスロだともっと分かり易い。
単発でも当たったことが嬉しかったのに、2連3連…もっと万発出るくらい大当たりして今まで掛け続けた金額の何十倍も取り返すぞと躍起になって、ボタンを叩き割る勢いで押すパチ〇カスにいつの間にか陥っているみたいな。
キュイン!と音が鳴るたびにヨッシャー!(ドーパミン分泌)。
パチスロにドハマりして辞められないって人が、もし全財産掛けてまでキュイン!って音を聞いてドーパミンを出しにパチ屋通っているのなら、ドーパミンの依存って本当に恐ろしい。
話は戻るけど人間も動物だから、動物として人間の生体を考えた時に、ドーパミンや幸せホルモンのセロトニンを上手く分泌して長く健康的に生きながらえるよう本能レベルで実行しているとしたら。
ドーパミンを出す方法として悪口を言うという手段を選んでいる人は、ストレスホルモンも一緒に分泌している訳だから、申し訳ないが生存能力の低い個体だと判断している。
しかもドーパミンの性質から言うと一度話した話題ではドーパミン出ないから、もっと話題性のある出来事や盛り上がる話題を見つけたり作らなきゃいけない。
つまり悪口を言う人は、新たな悪口=更なる刺激を求めて、ネタとなる悪口やアクシデントを引き寄せる電波塔と化している。
これを野生環境に置き換えると天敵など危険が多い場所を好んで選ぶ個体な訳だから、この個体と群れで生活するとどうなるのか。
極めて生存確率がゼロに近くなるだろう。
そうなると同じ群れの動物たちはどのような行動をとるのだろうか。
知恵のある動物なら、こうするのではないだろうか。
『危険をもたらす個体を、群れから外す』
群れから外され、おまけに生存能力の低い個体が単体で野生環境を生き抜くことが出来るだろうか。
答えは一つ、無理。
だから新しい群れに加わったり新しい群れを作ったりする。
そして危険と分かっていながら餌場を教え、自分が有益であるとアピールする。
(危険だから仲間たちが近づかないゆえに、餌が多く残っていることくらい考えたら分かるはず。)
万が一、群れが天敵に襲われ仲間が餌食になったとしても知らん顔で背中を向けて次の拠点または別のグループへ移動する。
これが悪口を言う人が身を置く環境。
そしてグループや取り巻くメンバーが変わる理由。
少し脱線したかも知れないけど、悪口を言う習慣がある人というのは生存能力の低さと、周りに危害を及ぼす危険個体であることをアピールしている人だと判断している。
その行動に感化されて自分も悪口を言う習慣が出来てしまうと、いつどこで自分の行動を見られ指摘されるか分からない。
悪口を言うのは、ただ自分を危険に晒し、生存能力を下げるだけの行為。
どうです?
ドーパミン出そうですか?笑
上記の理由から、私は悪口を言う人に関わることを辞めました。
お陰様で毎日快適に過ごしています。